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1年目の振り返り

4月になったということでね、昨年の振り返りでもしてみようかなと思います。主に仕事ベースの話ですね。

■ 目標はなんだったか

昨年の目標がもともと何だったかというと以下の2つになります。

A:逆境で輝く/Must Break throuw
B:「正しい行いをしている物事が100%承認されて、逆にズルをしてチョろまかす物事が徹底体に排除される世界」
をつくる

■ 逆境で輝く/Must Break throuw

ゴツいフレーズですね。まあしっかりストレッチした取り組みをしましょうということです。結論からいうと達成度合いは30%くらいでカス進捗でした。

結論全然輝いてなかったしブレイクもスルーもしてなかったですね。ちょくちょく踏ん張った場面もあったかなとは思いますが、立ち向かわなかったケースの方が多かったです。課題を先送りにして踏ん張れていませんでしたし、そもそも課題を特定しようという行動すら起こしていませんでした。考えることを放棄して、ただ行動量だけをあげようとしていた気がします。質よりも最初は量だという言葉はありますし、それ自体は本当だと思いますが、それに甘んじて質の部分をあげることから逃げていました。

じゃあ量は十分だったかというと、そちらも△でした。もともと全体像が見えないと動けないタイプで、とにかく目の前のことをやろうぜ的な感じだと動けないタイプなのですが、その全体像を把握しに行く行動=具体的にいうと振り返り作業やすりあわせによって先を捉えに行く行動を怠っていたため行動面に関しても全然追い付いていないです。

ただ、今は仕事の一連の流れも理解が進み全体像も見えてきて、それぞれのケースに対しての打ち返しのバリエーションも増えてきたので意味のあるアクションの数は増えてきたかなと思います。自分が起こしたアクションに対する反応や結果をみる余裕も出てきたので2年目はさらに楽しくなりそうだなとも感じています。一方でいままでよりも、できていない部分も明確になると思うのでそこに対しても真摯に向き合う気概が必要になりそうです。

”できないは成長領域、突破できるからこそ壁として現れてくれる”日々現れる課題に対して「そもそも何も考えてないやつには課題すら現れない、逆に壁が目の前に現れている自分は幸せもんだ」という気持ちで前向きに取り組んでいきたいですね。

■ 「正しい行いをしている物事が100%承認されて、逆にズルをしてチョろまかす物事が徹底体に排除される世界」をつくる

こちらもかなりイカついこと言ってますね。僕の100か0かで且つ極端な思考が如実に表れていると思います。言いたいのは「筋が通っていること以外全部カスで意味ない」みたいなことですね(笑)

ただ、この1年仕事していて一番感じたことが「人間ってすごい曖昧でブレるものなんだな」ということでした。

今まで自分は0か100で生きてきて、ベスト以外意味ないと思っていました。逆に言うと100にならないのであればそもそも手を付けない、あきらめるみたいな感じです。ただ、この1年で「ベストじゃなくて、ベターでもいいから前にすすんでいるかどうかが重要」ということをひしひしと感じました。
うまく言葉にできませんが、社会って常にベスト=100の選択肢で動いていると思っていたのですがそうじゃなくて60とか70とか、色で言うと白か黒かじゃなくて灰色のどこかで動いているんだなと。※灰色というのは合法非合法のスレスレとかの意味ではなくて単純に曖昧さという意味です。

そんで、いままで0か100かで生きてきた自分からするとそれは当初受け入れがたいものでした。筋が通っているかいないかみたいな観点でいうと、筋が通っていればやるし、通っていないのであればやらないという判断で生きてきたのですが筋が通っていてもやならいという判断をされることも多いんだなと。
当初僕はその事実に対して「筋が通っているのにやらないのは相手悪い。」「ロジック的に言うとこうしたほうが良いのにやらないのは相手が頭悪い」と考えていました。自分の提案とかが通らないことを完全に相手のせいにしていたんですね。


完全に「感情」というものを軽視していました

人間を車に例えると方向を定める前輪が「論理」で回転してパワーを伝える後輪が「感情」とはよく言われますが(よくいわれるのかな…?笑)いわば、その後輪を軽視した状態だったわけです。結局仕事って社内外問わず人を動かすことが重要なのですが、まずもって”動く”ために必要な感情の部分を無視したまま舵だけをとってたみたな状態ですね。それで動かないといってもまあ当たり前なんですが、僕は「相手が悪い」だけで片付けてしまっていました。
ずっと感情面を軽視して生きてきたツケがまず壁として立ちはだかったみたいな感じですね。

感情が上下するのって結構つかれるじゃないですか。だから僕はその上下をできるだけ無くしたいと思って生きてきて、だから理由がないと動けないマンになったしよく目が死んでるって言われるのですが、結構それでうまいこと生きてこれた人生でした。
もともと他人に対しての興味がかなり薄いこともありますが、そうやって生きてきているとだんだん自分に対しても他者に対しても感情面に対してのセンスが鈍くなってきて、パッション寄りの人に対して苦手意識が強くなってきました。そこで自分を正当化させるためにいつしか論理>感情という構図をつくってしまって、「感情や情理ってレベルの低いものだ」「感情ベースで動くのってレベルの低いことだ」とレッテルを貼ってしまいました。※よく考えれば自分自身も爆発的に動く時は感情の上下がベースにありましたが…。要はそういう構図をつくりあげてしまっていたので説明しても動かない人が相手にいると「なんでやねん、もうええわ」で終わっていたのですね。

ほんでやけども、やっと最近「結局感情が一番大事やんけ」というスタートラインに戻ってくることができました。1年前に会社の偉い人が「感情によりそう力が大切になってくると思います」と言っていた意味がようやく分かってきました。人間が介在する意味ってこういうところにあるのかなって。「感情設計が大事」という先輩もいましたが、それも同じようなことですね。
もちろん意志が弱くても良い、感情に流されやすくてもよいということを言うつもりはありませんが、人によってその程度の差は存在するのでそれもすべて踏まえたうえで相手と関わり望む結果までつなげる。これが僕の仕事なんだなと感じています。

まさに理想と現実の中で納得感をもって着地させていく営業の仕事だなと。このファジーな感じに対して理解し自分なりに納得し関わり方のバリエーションを学べたことがこの1年間の一番の収穫だと感じています。

最近は相手の反応を見る余裕も生まれてきて、「楽しいな」と思えています。元来営業むきではない性格ですが、そこを乗り越えたいと思いスタートした自分はまあ間違ってはいなかったなと思います。引き続き対人センス的な部分は高めていきたいですね。

■ 2年目の目標

もともと就活の時に考えていた「私生活=仕事」という状態に近づけたいという思いは継続して目指していきたいなと考えています。こう書くと仕事人間かよと思われるかもしれませんが、そもそも仕事もプライベートも「生きる」という営みの中の一部だとおもうので区切る必要がなんじゃないかなと思っています。うまく相互作用させたほうが楽しいと思いますし、あくまで取り組む内容や相手が異なるだけで楽しい人生をつくる作業に変わりはないと思います。もっと前向きにそれぞれ取り組みたいですね。ピックアップする要素でいうと「感情が動く機会を増やす」のとか必要なんかなと直近だと思っています。疲れるから避けてきたんですけど、今の自分には必要なんかなと。

テーマ的な感じでいうと「フリースタイル」っていうテーマでやっていこうかなと思っています。とはいえまだひよっこなので引き続き型を固めに行く段階だと思うのですが、当初あった”仕事はこうするもの””営業はこうするもの”といった変な先入観はやめて結果にこだわり過程は柔軟にやっていこうと思っています。結果が出ればやり方は無限大、仕事は迷惑を掛けない範囲であればフリースタイルでいいんじゃないって感じですね。上記のとおり曖昧な人間が構成する社会の中の仕事という営みなのでその曖昧さを味方につけることができれば成功の可能性は高まっていくと感じています。フリースタイルで上手くいく理由を探し続け、実行しきる。これが2年目のテーマですね。結果にこだわる、やりかたは問わんみたいな意味合いです。

■ おわりに

この1年で「感情」ってものに対してポジティブな見方ができるようになったのが収穫かなと思っています。成績はクソなんでそこは改善マストですが、これからもこういう発見を楽しみながら生きていきたいですね。

「思考の源泉は感情だ」っていうのを最近0秒思考という本で読んだのですが、思考を活性化させるためには自分(他者)の感情に素直になり押し殺してしまわないように扱うことが大切だそうです。感情を言語化してそこから思考を広げていく。ロジックのエネルギーもパッションな一部もあるのかなと理解しています。

あとは最近おもうのは「自分て何ができるんだろう?」ということです。例えば誰かにマツダって何ができるん?と聞かれた時に現状ではなにも返す言葉がありません。元気に挨拶ができますとかそのレベルでもいいので、1年後は「僕はこれができます」っていう何か自信もっていえるものを作りたいです。

ざっくりとした振り返りですが2年目もフリースタイルでハジケ営業していきます。

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