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『ピダハン「言語本能」を超える文化と世界観』

今1番面白いYouTubeチャンネル「ゆる言語学ラジオ」の影響で手に取ったことは言うまでもない。


自殺という概念の存在しない社会。
「直接経験」(イビピーオ)を重視する文化。
狩猟・採集により日々の食糧を得る彼らの暮らしは確かに「原始的」かもしれないが、文明の発達した我々の住む社会より総じて「幸福」なようだ。
「新しい」ことは即ち「善い」ことではない。

一方で、「ピダハン羨ましい」という気持ちにはならない。これは本書を読む前の予想を裏切られた。
既に私個人としては日本という国への絶望感は自分の生きてきた25年の人生の中で群を抜いて大きい。そのような中で本書を読めば「ピダハンいいなー。文明社会辛い。日本無理。」と(一時的にでも)なることは容易に想像がついた。
この予想が外れたのは、(もちろんアマゾン奥地での狩猟・採集の生活が自分には到底無理だということもあるが、)社会になんら解決すべき課題や、改善すべき状態が存在しないという状況が物足りないように感じるからかもしれない。
もう少し正確に言うと、改善の必要性は客観的に存在しているわけではなく、ピダハンは自分達の生きる社会に改善の余地を見出しておらず、一方私はそこに大いなる改善の余地を認めているということである。そして、だからこそ私は教師という仕事を選んでいるのだろう。

狩猟・採集や絶え間ない死の危険から離れ、ある程度の余暇を持った人間は生物学的に無用なことを考える。
古代ギリシャにおける哲学の起こり(アルケーにまつわる諸議論)がまさにそれだ。
もはや私の人生は自分自身の余暇によって生み出された思考や、他の無数の人々が余暇によって生み出した無限の「コンテンツ」に埋め尽くされている。

その人生の辛さもしんどさも面倒臭さも楽しさも色々と感じてきた今、ピダハンの生活は(サバイバル的側面を差し引けば)あまりに退屈に見えてしまう。
(誤解のないように付け足すと、この感想は本書の評価を低めるものでは決してない。端的に言って、めちゃくちゃ面白い。)

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