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2023年度英語科教育法の振り返り

北陸大学での2年目の英語科教育法。1年目のように毎時間の振り返りを書くのは流石に諦めた。少しは仕事が増えてきた証拠ということで、ありがたい限り。
ただ、英語科教育法どんなことしてる?ということを話すこともたまにあるので、一応まとめておきたい。4月も中旬になったところで今更昨年度を振り返る。

英語科教育法I,II (2年生)

2年生の英語科教育法I及びIIは「言語活動」に焦点を当てた。英語教師の視点を持ち始める契機となるこの2科目をどう構成するかで、学生らの英語授業観の根幹の部分が(作られるとかは言い過ぎな気もするので)ある程度方向付けられるかもと思い、その責任を背負う覚悟で挑むとしたら軸にすべきは言語活動かな、と。

「言語活動」とは何か、というところにはあまり拘らず、「活動を通して学ぶ」「アクティブ・ラーニング」を追究した。一人でじっと黙って考える活動も意図的に取り入れつつ、「確かにこれもアクティブ・ラーニングだ」と実感してもらえることを大切にした。

語彙・文法・4技能(5領域)のそれぞれについて、私が教師役として複数の活動を実践し、学生はそれを体験した上で「学びの深まり」「学びの広がり」「学びの楽しさ」の観点でブラッシュアップするアイデアを出していく。
それらを総括し、翌週に代表者(グループ)が教師役として活動をやってみる。やってみた活動に対して、対話型模擬授業検討会で振り返る。こう書いてみると、私のやりたいこと全部乗せみたいな感じもする。
いわゆる「無難な」授業ではなく、学生も高校までで(あるいは大学も含めて)経験したことの無い活動がほとんどであったため、規範的な視点や基準で振り返るのではなく、授業者と学習者の感情や思考を頼りに実践を振り返る対話検との相性もすこぶる良かったように感じる。その点は単に「模擬授業」としてやってもらっていた2022年度よりも設計として上手くいっていたと思う。学生のキャラクター的にも自由に話しながら振り返りをすることに向いていたように思う。じっくり時間を取って書いて振り返るのが得意なタイプの3年生がSAとして来てくれていたが、毎度学生たちの発言(の量にも内容にも)驚いていた。

英語科教育法IIも引き続き「言語活動」を1つの軸としつつ、文法がやや苦手な傾向にあるこの学年に合わせて、「文法指導」というもう1つの軸を付け加えた。
私からの講義は必要最低限で、指定の文法項目について担当者が予習してきた上で「形式・意味・機能」の3側面を整理して説明する。加えて、「意味順英文法」の枠組みでの説明も行う。ここに関しては基本の路線は悪くないと思うのだが、理論としてそれらを参照することのありがたみがそこまで学生に伝わり切らなかった感もある。特に、そこそこ「感覚で」出来てきた経験のある学生たち、あるいは文法用語をそこまで抵抗感なく受け入れてきた学生たちであるからこそ、意味順英文法の言っていることは当たり前すぎたようだ。
そんな感じだった学生の一人が家庭教師を始めて、英語の苦手な中学生と接したことで「意味順めっちゃ大事ですね」と実感したよう。「経験って大事」と言ってしまえばそれまでだが、学生のアルバイトの経験に頼らないと理論の重要性が理解されないようでは、大学の授業としてまだまだである。

英語科教育法Ⅲ,Ⅳ (3年生)

3年生の英語科教育法Ⅲでは、各技能の指導法を講義と演習で抑え、配布された教科書に基づいてその技能にフォーカスを当てた模擬授業を行った。2022年度と概ね同じ形式なのだが、最大の変更点は講義・演習回と模擬授業回の間に授業準備回を設けたこと。講義・演習回で学んだことを意識しつつ、教科書に基づいて全員が教材分析、指導計画作りに取り組む。途中でお互いの案を共有し合ったり、私の方から指導計画の意図を聞いたりした。模擬授業担当者はその後さらに1週間で授業を用意してくるわけだが、これまで完全に1週間学生に投げっぱなしだった授業作りの過程の一部を見れたことが私にとっても非常に良い機会だったし、学生も闇雲に授業のアイデアを考えるのではなく、習ったことを基に教材分析から始めることが出来たのは恐らく良かっただろうと思う。一方で講義・演習回で扱ったことがまだまだ活かされそうな余地があるもののそれが見落とされているということが少なくなかった。限られた準備時間の中で授業を作っているとなかなか理論や概念を参照する余裕がないのかもしれない。ひとまず50分でそれなりの形になる授業(の流れ)を作ることで手一杯なのかもしれない。(ここは2024年度、改善に向けて一つ手を打ってみているところ)

後期に入り英語科教育法Ⅳでは「単元」を扱った。単元目標からの逆向き設計で授業を考え、学期の後半には単元の1時間目から順番にリレー形式で模擬授業をしていった。
それまでずっと「その授業たのしい?」と問われ続け、彼女らなりに楽しい授業を考える・実施することはかなりできるようになってきたし、それを教科書と関わらせながらやることも前期にある程度できた。しかしこの単元リレーでぶつかったのは「目標」あるいは「評価」と「指導」の繋がりだ。「目標から逆算して授業を作ると、楽しい授業ができなくなる」という学生のコメントがまさに象徴的だ。それに対しては私なりの回答は既にしたし(確かYouTubeに載っている)、彼女もそれを受けてある程度考えを整理したと思う。
が、やはり逆向き設計というのは授業の(大ハズレをなくしてくれるかもしれないが)創造性や「あそび」を失わせたり、教育的価値の柔軟な問い直しを妨げるリスクと表裏一体であるとも感じる。一つ一つの授業あるいは単元の中に(広く受け入れられる)目標と明確に繋がった活動等がありつつ、より創発的な価値を見据えた場面があってもいいはずなのだが、この英語科教育法Ⅳでは単元目標との繋がりを私自身が意識し過ぎたこともあり、やはり「授業の楽しさ」とかよりも「授業(者)の責任」みたいなものが前景化したように思う。そこは、もう少しやりようがありそうな部分。「本質」はこのモヤモヤ感からそう遠くないところにありそうなので、次どうするかという選択肢の拡大にはまだ安易に進まないでおこう。

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