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正欲とニンゲン

僕は普段「自分に起きるすべてのことには意味がある」と思って生きている。本当かどうかはわからないし、厳密には一生分かるわけがないし、誰も知る由のないことなのだが、そういうスタンスを取ることで僕は少し生きやすくなる。

僕ら人間というのは非常に良くできていて、生存するために様々な機能を備えたり手放したりしながら世界に適応し生き残ってきた。人間には様々なバグが備えられているし不完全だと感じることも多々あるし、戦争をして互いを殺し合うが、それすらも人間という種類の動物全体で考えたときの生存に必要なものなのではないかと思ったり思わなかったりしている。(戦争を肯定する意図はない。)

そして、あるときから人間の生存戦略のうちの一つに、多様な個体を生成することで滅亡を防ぐというのがあるのではないかと思うようになった。

最近読んだ『正欲』(浅井リョウ・著)には、水に関して特殊な性癖を持つものの生きづらさや葛藤が描かれている。彼らは性癖を隠しながら生きることに苦しさを感じており、社会には受け入れられるわけがないと一線を引きながら生きることで自分を守っている。無名YouTuberに匿名でリクエストをしたりしながら性を満たしていたり、似た性癖を持った人たちと繋がることで安堵していたりもするのだが、一方で楽観的に死を選ぼうとしたりする描写もあった。

現代、情報の民主化により様々な人が地球上に存在することが知れ渡り、「多様性」という言葉が叫ばれるようになったのだが、そもそも僕らは多様だからここまで生きてきたのであって、わざわざ多様性などと叫ぶ必要もなければ、自分が特殊であることに恥じる必要もないのではないだろうか。

もしも人間が全員同じような人間しか産まないのであれば、とっくに人間は絶滅しているだろう。災害が起きたとき、全ての人が同じ行動をとってしまっていては絶滅するリスクが高すぎる。逃げる人がいて、逃げない人がいて、助けたり助けなかったりぼーっとしていたり、様々な人が全然違う方向に違う行動をすることで、犠牲を許容しながらも絶滅するリスクを下げるのである。そのために二人の人間のDNAを混ぜた子どもを誕生させ、指数関数のもつ最強の威力を使って多様性を持たせることでしぶとい生存を可能にするのだ。

このシステムは人間の誕生の歴史からきっとあるものなので、多様性などというものは、僕らが酸素がないと生きていけないという事実と同じくらい自明であり、特殊な性癖を持つ者もそのように考えれば人類にとって必要な人間の一人なのである。

そもそも同じ人などいないし、言うなれば全員特殊なのだから、わざわざ多様性と騒ぐ必要もなければ、特殊なことに後ろめたさを感じる必要もないわけで、なのに現代社会ではわざわざ多様性と叫ばなければいけないし、特殊な人は異端として弾かれる世の中になっていて、なんだかなぁと浅井リョウさんの『正欲』を読んで考えることになったのだった。



かくいたくや
1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、プロ契約を目指し20歳で渡独。23歳でクラウドファンディングを行い110人から70万円以上の支援を集め挑戦するも、夢叶わず。現在はドイツの孤児院で働きながらプレーするサッカー選手。

文章の向上を目指し、書籍の購入や体験への投資に充てたいです。宜しくお願いします。