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週6で顔を潜めるサッカー少年

僕は4年前に大学サッカーを辞めて、ドイツでサッカーをする決断をし、そこから日本に一時帰国した時期もあったがなんとかドイツで5チームを渡り歩き、様々なチームでプレーし、今に至る。

様々な環境に身を置くことで、自分を観察でき、自分を深く知ることができたり、今までに気づかなかった学びを得られることができたり、全てが良い経験なのだが、僕がその中で感じた「頻度」というものについての考察を書き留めておきたい。

日本の大学でサッカーをやっていたときは週6の頻度で活動があったのだが、ドイツに来て八部でプレーしていた時は週3、七部、五部、六部でプレーした時は週4だった。一時帰国中に日本の社会人サッカーチームでプレーしていた時は週3〜5。

要するにサッカーという活動を週3〜6という頻度で様々な環境でやってきたのだが、この“頻度によるサッカーとの距離感”が僕をどんな感情にさせ、どんな行動やパフォーマンスを引き出したのかについていつも自分を観察するようにしていた。

大学でサッカーをしていたときの週6は非常にサッカーが辛かった。ただ僕の性格上、辛いことを辛いと思いながら続けることはできなくて、辛いことに目を向けず他の違う何かにモチベーションなるものを見出すことによって乗り越えようとするので、例えば友達に会えるとか、練習終わりに行く飯が美味いとか、そういうのを目的にごまかすことでなんとかしていた。なので、辛いという感覚は忘れていたものの、サッカーを純粋に楽しくてやっているという感覚はほとんどなかった。

ドイツに来て週3に頻度が落ちると今度はもっとサッカーがしたくなった。練習がない日が退屈で仕方なかった。練習のある日でも日中に時間があったし、良い環境でボールを蹴る仲間もいたので、「もっと休め」「明日はボール蹴るな」などと監督から注意されながらもこっそりサッカーをしに行っていたことが多々あった。昔、腰椎分離症になり3ヶ月間コルセット生活でボールも触れない期間に、こっそり家を抜け出して真っ暗な中公園でボールを蹴りまくっていた夜を思い出す。

移籍をし、頻度が週3から4に変わると、その欲は少しだけ薄くなった。そして、七部から五部へステップアップすると、活動頻度は変わっていないものの、練習強度による疲労で休むことに目が向くようになったり、疲労が溜まりにくく普段はできないコアで地味なトレーニングをやるようになったりした。

レベルの変化や目標の変化、ドイツ生活への慣れやインプットによる影響など様々なものが複雑に絡み合って僕の感じ方を変化させているのは間違いないが、頻度という要素はその中でもかなり自分のモチベーションをコントロールしている要素だ。

週3だと少ないし、週5や6だと多く感じる。週4はちょうど自分のサッカーへの欲を毎週駆り立ててくれるちょうどよい頻度であり、それはそのままサッカーへの姿勢を構築する。故に、僕は週6でサッカーをしていた大学時代よりも間違いなくドイツへ来てから週4でサッカーしているときに成長をした。

長らく忘れていた、土日の試合でしかちゃんとした環境でサッカーできなかった小学校終わりに毎日学童や公園で夜遅くまで友達とボールを蹴っていた純粋にサッカーボールを追いかける少年の僕がドイツに来てから何度も顔を覗かせるようになったのだった。頻度によるサッカーとの距離感によって。週5や6ではこの少年の僕は顔を潜めてしまうようだ。



かくいたくや
1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、プロ契約を目指し20歳で渡独。23歳でクラウドファンディングを行い110人から70万円以上の支援を集め挑戦するも、夢叶わず。現在はドイツの孤児院で働きながらプレーするサッカー選手。

文章の向上を目指し、書籍の購入や体験への投資に充てたいです。宜しくお願いします。