見出し画像

「あぁもう…、もっと議論うまくなりたい…!(__)」なあなたへ。(前編)

0.はじめに 「議論とは、何なのだろうか」

  会議、交渉、就活のグループディスカッション…私たちは日常的に、人と色んな「議論」をしています。うまくいった議論もあれば、うまくいかなかった議論もあるでしょう。皆さん、一度は思ったことがあるのではないでしょうか?「あぁ、もっと議論が上手くなりたいなぁ…」と。私は人生で既に100回くらい思ってきました。(笑)

 今回私が記すのは、これまでの様々な議論の場で私が学んできた「議論の作法」っぽいものです。議論は本当に奥が深くて、今回の完成度はまだまだ未熟ですが、「議論の仕方がいまいちわからないなぁ」という人に向けて、少しでも役に立てるよう、色々と調べて書いてみました。

 今回の文書は、様々な分野(弁論術・合意形成学・交渉術など)の知見を頼りにしながら、「議論」にまつわる以下の問いに順に答えていくものとなっています。全ての問いに自分の意見を持って答えられるなら、あなたはすでに議論のプロでしょう。気になる項目があれば、その章だけ読んでくれて構いません。(基本的に一つの章に一つの要約スライドを載せています。)内容的には下に行くほど難しくなっていると思います。

  1.「議論」とは何か?その目的とは何か?
  2.人はどのように説得されるのか?論理だけで人は説得できるのか?
  3.論理的な主張とは何か?どのような構造か?
  4.論理的な議論とは何か?反論はどのようにすべきか?
  5.「議論に勝つ」ことよりも大事なことに気づいているか?
(4.以降は後編に載せています。)

(先に要約スライドを見たい人はこちらをどうぞ↓)

それでは、「議論」という広大な世界へ、旅立つことにしましょう!

1.「議論」とは何か?その目的とは何か?

 そもそも「議論」とは何なのでしょうか?目指しているもののイメージをちゃんと理解していない限り、それを身につけることは難しいですよね。

 議論とは何か。それは色んな答えがあると思いますが、大まかにこのように定義しておくと間違いないと思います。「多様な意見や利害を持つ者が集い、何らかの目的に向けて、様々な意見を述べ合うこと」。そして重要なのは、議論における目的は色々あり、目的に応じて、最適な言動も変わることです。

 今回は、様々な議論の種類を、参加者が対立的か協力的かという軸で、3つのタイプに分けて整理してみました(これらはあくまで互いに独立ではなく、グラデーションのように、一つの議論に二つの要素が含まれることなどももちろんあります)。

 一つ目は「交渉」型の議論です。例えば、二国間の関税交渉や、企業間の契約交渉などの議論であれば、あなたは国や企業を代表して、目標とした取り分を何としても獲得すべく、相手を説得しなければなりません。特に私たちのような日本の若者は優しいので相手に妥協しがちですが、この種の議論では、主張すべきは主張し、勝つべき所は何としても勝ちに行く、そんな貪欲さが重要になります。

 二つ目は、「合意形成」型の議論です。例えば国連の安保理会議、WTOの他国間自由化交渉などの国際会議では、多くの異なるアクターが集うために、それぞれが自国のことだけを考えて主張しあって話がまとまらず、議決できずに終わるといったこともあります。WTOで2001年に始まったドーハラウンドという交渉の場は、すでに15年以上、議決できずに永遠と交渉を続けています。(笑)

 このように、異なるアクター同士の合意形成が場としての最重要目的である時は、必ずしも利己的な主張を強引にするだけはなく、時には全体最適を意識して、それぞれの歩み寄りの姿勢も大事になってきます(その点で、協力と対立の要素が半々としました。)

 そして三つ目が、「探求・立案」型の議論です。新しいアイディアや戦略を立案したり、自国や自社の問題点や原因を追究するといった議論では、誰もまだ確信のない未知の答えを協力して探し出す必要があります。そのため、自分の意見にこだわり過ぎず、他者の意見を真摯に傾聴し、全員の知恵を持ち寄って協力的な議論を行うことが重要になってきます。この種の議論では、強引に他者を説得することよりも、むしろ、自分が変容することが重要になります。「あぁ、私はこの問題の原因はこれだとばっかり思っていたが、あなたの意見を聞くと、自分が間違っていたことに気づいたよ」というように。

 このようにして、この章でまず伝えたかったのは、議論にはその種類に応じて、様々に異なる目的があり、それにふさわしい言動の仕方があること。それ故に、議論を行う時には、「この議論では、全体として何が目的なのだろうか?そのために自分はどのようなことを意識して発言すべきだろうか?」といった視点を常に持つことが重要です。そして自分が、議長やファシリテーターといった立場に立つときは、そのような視点をすべての参加者に持ってもらうように働きかけねばなりません。

 私が好きな「アメリカ建国の父」の一人、ベンジャミン・フランクリンは、アメリカ合衆国が生まれる憲法制定会議にて、様々な利益代表者による議論の紛糾に直面しました。

 このままでは、議決できない可能性もある。アメリカ合衆国を誕生させるためにも、何としてもそれは防がなければならない。そこで彼は何を伝えたか。

 彼は、自分もこの憲法草案に賛同できないことがあると率直に認めたのです。その上で、アメリカという国が最初の一歩を始めるためにも、自分の異論を棚上げにして、憲法草案を支持することを宣言し、他の代議員にも同じ立場をとるように訴えかけたのです。

「私はこの憲法に賛成します。今後、これにまさる案が提案されるとは思えませんし、これが最善の案でないと断言する自信もないからです。私が抱いていた異論は、私たちの共通の利益のために捨てます。...いま私が願うのは、私たち自身のために、そして未来の世代のために、ここで全会一致で熱烈に憲法を支持することです」

 この考え方や発言が最善だったかはわかりません。でも、この発言があったからこそ、議論は一気に収束の方向へとかじを切り、無事にアメリカ合衆国は生まれることとなったのです。私自身は彼のこのような議論への関わり方をとても尊敬しています。

 今目の前にある議論の目的は何か。他者を説得すべきか、自分が変容すべきか、全員での合意を働きかけるべきか。そのためにふさわしい言動は何かを常に意識し、周囲にも働きかけられる人材となってほしいなと思っています。

2.人はいかに説得されるのか?

 続いて、他者との議論の上で極めて重要な「説得」という行為を少し考えてみましょう。議論では、異なる意見同士を述べ合うのですから、何らかの合意をとるためには、他者を説得するか自分が説得されるかになるはずです。あなたが人と話していて、説得されるのはどんな時でしょうか?

 まず思いつくのは、論理。相手が論理的に話してくれた時でしょう。「○○という理由があるから、○○すべきだよね」と言われたら、「確かにそうだ…」となりますよね。これは「理屈による説得」であり、「頭で納得」したものと言えるでしょう。その上で問題は、「論理的に議論するには、論理だけで十分なのか?」という問いです。あなたがもし、半沢直樹みたいな人から、ものすごい勢いで、嫌味たらしく論理的な主張をまくしたてられたら、何だか嫌な気分がしますよね。頭で納得する以前に、心が反発して、説得されないわけです。

 ということは、人を説得するにあたって、論理以外にも重要なのは、そう、共感です。自分のことをちゃんと理解してくれている。目の前の人が本心からそう言ってくれている。特に相手と長期的に友好な関係をつくっていくことが重要な議論の場には、そんな心と心の通い合いも不可欠な要素です。2013年の半沢直樹は、その3年後、三井住友銀行のイメージキャラクターとして、うなずきと笑顔だけで客の相談を引き出していく「まるほど話せる人」へと進化していました。(笑)

 それでは、論理と共感、それがあれば人は誰でも説得されるのでしょうか?議論の時に、あの人の言葉はいつでも「なるほど…」と説得されてしまう、そんな人が周りにいたりしませんか?恐らく、他の人が全く同じ発言をしたとしても、自分には全然響かないかもしれません。ということは、人を説得するにあたって、「何を(論理的な主張)、どんな風に(相手への共感を持って)、言ったか」、だけではない要素がまだあるはずです。

 それは、「誰が話したか」、すなわち「話し手の人柄」であり、「人徳」です。あなたが普段から常に正義と道徳を持って生きており、信用のおける人間であるならば、多くの人々があなたの発言を通して、説得されるでしょう。

 こうして説得における3つの大事な要素が見つかりました。かの有名なアリストテレスは、その著書『弁論術』の中で、「弁論術とは、どんな場合でも、そのそれぞれについて可能な説得の方法を見つけ出す能力」であると述べ、以下の3要素が説得には必要であると述べています。即ち、「ロゴス(論理)」、「パトス(共感)」、「エトス(人徳)」です。

 そして、恐らく大まかに分けると、科学などの学問的研究での厳密な議論になるほど、対象とする人間の数は多く、客観性や普遍性が必要であるため、特にロゴス(論理)が重要でしょう。そして、非公式な普段の会話や個人的な交渉などでは、目の前の一人の人間に対するパトス(共感)が重要であり、様々なアクターが集う一般的な議論では、エトス(人徳)を中心にして、他のロゴスやパトスもまんべんなく必要といえると思います(要素と議論形式がそれぞれ独立に一対一で対応している訳ではなく、大まかな分類です)。

 これらを踏まえて重要なのは、人を説得する方法を論理的に考え抜くと、説得に論理だけでは足りないことがわかるということです。議論を通して人を説得できる人材になるには、論理はもちろん、共感性や人徳も磨いていくことが重要であるといえます。

3.論理的な主張とは何か?どのような構造か?

 これまでは、主に議論にまつわる全体像を理解してきました。ここからはより詳細に、論理的な議論のその核心へと、迫っていきましょう。前節では「共感」や「人徳」の重要性を説きましたが、それらは個々人で意識して磨いてもらうとして、この文書では、誰かに教えてもらわないと実態が掴めない「論理」そのものを特に理解していきます

 「論理的な思考、ロジカルシンキングが大事だ!」といったことはよく聞きます。皆さんも、「論理が何やら大事なようだ」ということは知っていると思います。それでは、「論理」とは何でしょうか?説明せよといわれても、ちょっと戸惑いますよね。実はみんな、あんまりわかってないんです。考えてみましょう。

 例えばあなたは、「論理的な主張」と聞いた時に、どんなものが思いつきますか?「○○だから、○○である」みたいな文章が思いつくかなと思います。逆に言えば、例えば「あぁ、なんでかわかんないけど、今日はカツカレーが食べたいぃ…!」といった主張は「なんで…?」って思うし、あるいは、「ここに、カツカレーがある…!」と事実だけ述べられても、「だから…?」となってしまい、いずれにせよ「論理的」とは思わないですよね。(笑) 何が違うんでしょうか?重要なのは、「論理」は、「主張」と「根拠」の両者があって成り立つということです。

 辞書で「論理」と調べれば、「考えや議論の筋道」と出てくるように、論理とは何らかの「点(主張)」と「点(事実)」を結ぶ「筋道」であって、「点」そのものではないわけです。あなたがもし「論理的」に話そうと思うなら、何らかの「主張」と、その主張が正しいといえる理由、「根拠」を述べる必要があります。ここでいう「根拠」とは、自分以外の誰でも、「それは確かにそうだよね」と必ず確かめられるもの、客観的な事実です。

 そのように共通に確認できる事実という土台に自分と相手が立ったとき、二人ともが必然的に納得できるだろうと考えられる地点が、「主張」です。「明日、雨が降るぞ!」と主張されても、「なんでそう言えるの?」と聞く側は思いますが、「だって、雲が近くに迫ってるからね。」と事実を教えてもらえると、さっきの主張が納得できますよね。

 そして「主張」とは、反論の余地(可能性)を持つ意見です。なぜなら例えば、「この本は、本なのである!」とすごい勢いで「主張」のようなものをされたとしても、ここで述べられているのは、誰から見ても反論の余地のない「事実」であり、それ単体を述べても何の意味もありません。相手からの反論の余地が大きい意見、正しいかどうかがわかりにくい意見を主張しようと思うほど、たくさんの根拠を述べていくことが必要になります。このような意味で、「論理」とは、自分と他者が、共通に了解できる「根拠」から出発して、正しいかどうかが疑わしかった「主張」へと一緒にたどり着くかを試みるプロセスとも言えるでしょう。

 しかし、そのプロセスは簡単に見えて、実は難しい道のりです。例えば、以下のような議論を見てみましょう。

あなた 「Aさん、おはよう! 今日も元気かな?」
Aさん  「おはよ!私は、日本は死刑制度を廃止すべきだと思うんだよね」
あなた 「おっと…いきなりシリアスな話題。笑 どうしてそう思うの?」
Aさん  「だってさ、世界の多くの国は死刑を廃止する方にどんどん動いてるのよ。 だから、日本もそうすべきよね。」
自分  「なるほどなぁ…世界では死刑を廃止してる方に動いてるのは僕も知ってるよ。でもさ、だからといって『日本が何でも世界に合わせるべき』って訳でもないと思うんだよね。だから私は、その意見にはまだ賛成できないなぁ」
Aさん  「ふーん。あなたのこと、嫌いだわ」
自分  「ええええ(笑)」

 ここではあなたは悲惨な目に苦しんでいますが(笑)、要点を少し整理してみましょう。Aさんは、「日本は死刑を廃止すべき」という主張を唱えています。それが正しいことを証明する「根拠」として、「世界では廃止の傾向にある」という事実を挙げています。しかしあなたは、その事実自体は認めるものの、それが主張を成り立たせることには納得しませんでした。そう、ここからが論理の真髄、面白いところです。根拠と主張の間には、必ず飛躍があり、そこをつなぐために、自分と相手が了解するであろう「暗黙の仮定」を、話者は前提としているのです。

 今回であれば、その「暗黙の仮定」は、「世界の潮流は正しい」という考えであり、Aさんはその考えを持っていましたが、あなたはその考えに賛同しているわけではありませんでした。Aさんにとっての「暗黙の仮定」があなたと合意できなかったために、同じ根拠から出発しても、同じ主張にはたどり着けなかったということです。ここから言いたいことは、論理という筋道を立てるにあたって、根拠はいつでも「暗黙の仮定」があることで、主張へと無事に飛躍できるのであり、もしその「暗黙の仮定」が正しくない、あるいは相手と共有できていない場合は、正しい主張にたどり着けないということです。

 イギリスの哲学者スティーブン・トゥールミンがこの構造を整理し、それは今ではトゥールミン・ロジックと呼ばれています(下図)。彼は、主張のことを”Claim”、根拠を”Data”、暗黙の仮定を「論拠」、”Warrant”と呼びました。

 要するに、あなたが論理的に議論するに当たって重要なのは、まず自分が立てた主張について、その正しさを証明できる根拠を用意すること、そしてその根拠が適切に主張へとつながるのか、論拠の正しさを確認することです。逆に言えば、相手が自分の主張に納得してくれない場合は、根拠が不正確か、自分が暗黙に仮定していた論拠に合意できていないかという可能性を考えるべきだということです。実際の議論では、このような論理の構造が重層的につながっていくことで、複雑で有意義な主張になります。その整理の仕方についてはピラミッドストラクチャーという手法があるので、興味がある人はぜひネットで調べてみてください。

 後編では、

 ・相手の論理的な主張にどう反論するか
 ・「議論に勝つ」よりも大事なものは何か

といったことについて、少し整理しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?