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「あぁもう…、もっと議論がうまくなりたい…!(__)」なあなたへ。後編

4.論理的に反論するとは?

 前編では、論理的な主張についての原型を確認しました。そして議論とは、そのような論理的な主張の重ね合いです。相手の論理的な主張に、自分がどのように対応すればよいのかということが、次に大事になってきます。この対応の仕方は議論の形式や目的に合わせて異なりますが、今回はまず、「相手の主張の誤りを指摘したり、自分の主張の優位を示して論理的に説得したりしたいとき」、すなわち、「反論する」という状況を想定します。

 相手が主張してきたときに、どんな反論をしたらよいのでしょう?例えばさっきの話で、相手が「死刑を廃止すべき」という主張をしてきて、それに賛成できないとき、「いいや私は継続すべきだと思う!」などと自分の主張を述べるだけでは、「ばかでしょ!廃止に決まってるじゃない!」という風に、いわゆる水掛け論、主張だけを単に言い合って終わりません。相手は、相手なりの根拠や論拠に基づいてその主張を支持しているのであり、それら自身の誤りを相手に気づかせないと、それを土台として成立する主張を崩すことができません

その意味で、反論のセオリーとは、相手の主張そのものに異なる主張をぶつけるのではなく、主張の土台となっている根拠や論拠を攻撃することです。今回、自分なりに反論の仕方を下図のように整理してみました。 図を見ながら、反論の仕方を具体的に考えていきましょう。今回は、「日本は死刑制度を廃止すべきか」という論点について、相手は「世界では廃止傾向だから、日本も廃止すべきだ」と主張してきたという状況です。あなたなら、どのように反論していきますか?

 一つ目の自分の反論の仕方として、「『世界では廃止傾向』とあなたは言っていますが、いったい何か国が廃止しているんですか?そしてそれは本当に傾向と呼べるほどの動きを伴っているのですか?」といったように、相手の根拠の真否や不足を指摘するという方法があります。それに対する相手の返答が不十分か曖昧であった場合、相手の根拠は薄弱となり、主張の説得性が弱まります。この方法に類似した方法として、「例えばアメリカや中国、インドなどの大国は廃止していなくて、世界の人口の半分以上はまだ廃止していませんよ」といったように、相手が出した根拠とは反対の意味を表す根拠を出して、主張の説得性を(少しでも)相殺するという方法もあります(相殺法)。

 二つ目に、相手が暗黙に仮定している論拠への反論のアプローチもあります。先の相手の主張を聞いたあなたは、相手は「世界の潮流に合わせることが正しい」という論拠を持っているのだと想定できます(論拠は基本的に明示されないので、言外から見ぬく必要があります)。それに対する反論として、「あなたは『世界に合わせるのが正しい』という考えを持っているようですが、その考え自体は本当に正しいのですか?」というように、論拠の絶対性を崩すという方法があります。この延長線上には「帰謬法」という手法があり、それは、論拠(ある命題)が正しいと仮定した場合に、それが不条理な結果をもたらすことを指摘することで、元の論拠が誤りであることを示すという方法です。例えば、「もしあなたの言う『世界の潮流に合わせるべき』という考えが正しいとすれば、日本はあらゆる面において世界に合わせることになっちゃいますよね。それは日本の個性を奪うことになりませんか。」といったような反論の仕方です。このようにして根拠と主張のつながりとしての論拠を崩すことは、ディベートの世界では「リンクを切る」という風にも表現されます。

 これらが、ある論理的な主張に対して、その論理構造の枠の中で反論する方法です。これら以外に、その論理構造を認めたうえで、その枠の外で反論する方法もあります。

 一つは、別の論点を持ち出して元の論点との比較衡量に持ち込む方法です。前節でも軽く触れた通り、議論は基本的に、抽象的で大きな論点から具体的で細かい論点までが重層的につながって構成されています。先ほどの相手の主張が、「国際的な観点では、日本は死刑を廃止すべきか否か」という具体的な論点について主張だったと考えて、以下のように国内的観点という別の論点を持ち出します。「百歩譲って、世界の潮流はあなたの言う通りだとしましょう。しかし、日本国内にも目を向けましょうよ。死刑のおかげで犯罪者を葬り去ることができ、被害者遺族の方々は傷を和らげることができています。だから、被害者遺族のためには死刑はやっぱり必要です。」これによって、自分と相手は、「死刑を廃止すべきか否か」という大論点への結論を出すには、国内的観点と国際的観点の二つの中論点の主張を比較しなければならない状況に持ち込めました。

 また、一応これに対して相手側で可能な反論も紹介しておくと、その論理が過度な一般化であることを指摘するという方法があります。具体的には、「確かに死刑のおかげで傷が和らぐ被害者遺族もいらっしゃいますが、それが全員ではありません。実際、被害者遺族の中には、死刑を通して自分も殺人者になってしまうことで心が病む人もいらっしゃいます。」というような反論です。これによって、相手が挙げた根拠は一部は正しいが、それがすべてではないことが証明され、主張の説得性が弱まりました。

 話を戻すと、このようにして別の論点が持ち出されたことで、今回の議論は、「日本は死刑を廃止すべきか」という大論点に対して、「国際的観点」と「国内的観点」という二つの中論点で構成された議論となりました。このとき、それぞれの中論点で述べられた複数の主張を、どのように大論点に対する結論へとつなげるかというところで、また「論拠」が必要になります。あるいは、「結論に向けての判断基準」と言った方がここではわかりやすいかもしれません。

 それを踏まえた可能な反論は、より高い次元(大論点)に対する相手の主張の重要性を低めること、換言すれば、大論点についての判断基準そのものに働きかけて自分の主張に有利な方に持っていくことです。具体的には、「今、国際的な観点と国内的な観点の二つが出ましたが、国内の被害者の方々の悲しみがあふれている現状を考えてください!こんな状況で廃止なんかしたら、より多くの人が悲しみますよ!世界への体裁よりも、今は国内の被害者のお気持ちの方が重要ですよね」といったような反論の仕方です。これによって、たとえ国際的な観点での相手の主張は、論理としては正しいとしても、今回の議論の一番の論点である「結局のところ、死刑は廃止すべきか否か」にとっての相手の主張の重要性が弱まり、意味がなくならせることができます。

 合計5,6つほどの反論の仕方を挙げましたが、これらはあくまで筆者の私が整理してみただけなので、他にもあるかもしれません。普段の議論ではこのように整理した上で発言することはないと思いますが、無意識のうちに、きっといずれかの方法を選択して反論しているはずです。

 より説得力の高い議論、反論を行うためには、自分の論が相手よりも優位に立って、相手を説得するために最も効果的な反論ポイントを見つけて指摘するということが重要です。対面での実践的な議論でこれを素早く意識して反論ポイントを見つけるのは難しいですが(僕もできません(笑))、少なくとも自分が一人で考えを整理する時や、相手との議論に備えて準備する時、あるいは相手との議論が一段落して、最終的な結論を落ちついて決めたい時などに、上の図のように整理して考える習慣をつくっておくことは有用です。

 そうすると、対面の瞬発的な議論の時にも無意識に最も効果的な反論を見つけながら議論できるようになります。野球の練習で、素振りの時に振り方をしっかり意識して何度も振っておくと、本番の試合では、振り方を意識しなくても最適な振り方で自然と振れているのと同じです。

5.議論において論理よりも大事なこと

 ここまでで、議論の種類や論理の構造、そして反論の方法などを解説してきました。その説明の仕方を、今回は私なりの整理でお伝えしましたが、「議論が上手い人」というのは、その人なりの「議論の作法」を意識して磨いていらっしゃるように思います。今回の文書は、皆さんが今後に自分なりの「議論の作法」を身に着けていくうえでの、あくまで一つの参考として受け取っていただければ幸いです。

 最後に、私が議論の際に論理よりも大事だと思っていることを、身勝手ながらお伝えさせてください。確かに、前節までテーマで扱ったような、「論理的な議論」にまつわる自分なりの作法を磨き、論点についての十分な知識を身につければ、「相手との議論で論理的に負けてしまう」といったことはかなり減っていくと思います。「いつも相手にうまく説得されてしまう。何を発言したらいいのかわからない」といった人は、前節までのことを意識してみてほしいなと思っています。

 ただし、論理的な議論の力を、決して過大評価してもいけないと、私は思っています。第二節で紹介した半沢直樹のように、ひたすら論理的にねちっこく言いくるめてくる人がいたら、私は単純に、その人が嫌いになります。(笑)それがもし交渉の場面であれば、私は感情的に怒って、「もういい!君は正しいかもしれないけど、君とはそもそも交渉しない!」というように交渉が決裂したり、あるいは時に、平和的な議論以外の手段で目的を果そうとするかもしれません(国際政治では、それは極論を言えば「戦争」です)。論理(ロゴス)は説得の3要素の一つに過ぎないということを、決して忘れてはいけません。 

 論理とは冷徹な「刀」のようなものです。使いこなせるようになれば、誰でも切ることができます。でも問題は、「そもそも切るべきなのか」ということです。「切るか切られるか」、「勝つか負けるか」が重要な局面も、時にはあると思います(感情論を排した厳密性が極めて重要視されるような会議など)。しかし一般的な議論の場で、論理だけが重要な場面はそう多くはありません。「相手を論破する」という行為自身の楽しさに酔っている人をごくたまに見かけますが、それは私にとって江戸時代の辻斬りのように、誰かを切る行為によって自己の存在を確かめている卑しい人間に映ってしまいます。

 刀を極めていく居合道の最後の極意をご存知でしょうか。それは以下のようなものです。

 「居合道の至極とは、常に鞘の内に。 刀を抜かずして天地の万物を和する所にある。」

また、日本史上初めて全国を制覇した織田信長が掲げた「天下布武」は「天下を武力で平定する」ことだと言われていますが、その真意は違うとされています。「武」とは「戈(ほこ)」を「止(とめる)」と書くことから、彼の願いは「世の戦いを止めて、天下泰平をもたらすこと」だったのです。刀を極めた先に待つ、かつての日本の武士の真髄は、「刀を使わずしてその場を治めること」でした。同様に、論理の力を磨くのは、不条理な論理に支配されないためであって、論理の力で誰かを支配するためではないと、肝に銘じる必要があります。

  それでは、「論理に頼って誰かを支配することなく、その場を治めること」は如何にして可能なのか。これは私自身の今後のテーマでもあるのですが、簡単に今考えていることをお伝えしておきます。

 例えば、あなたが図書館を訪れた時に、部屋が暑くて窓を開けようとしたら、「待ってよ!開けないで!」と近くの人に静かに怒られたとします。議論の始まりです。

 

あなた「なんですか、急に。僕は窓を開けたいんですけど…」
Aさん 「開けたら風で書類が飛ぶでしょ!書類を飛ばしたくないのよ!」
あなた「書類が飛ぶほどの風が本当に吹いてるんですか?」
Aさん 「飛ぶかもしれないじゃない…!開けちゃだめよ!」

 ここでは、「窓を開けるべきか否か」という論点について対立し、議論が起こっています。「Aさんは窓を開けたら風で書類が飛ぶ」という根拠を持ち出し、それに対してあなたは先ほどの反論の方法の一つ、「根拠の信ぴょう性を疑う」というアプローチでやり返しましたが、それは確率論となり平行線が続きそうです。

 このような議論における対立において、選択肢は3つあります。妥協して自分が諦めるか、何としても相手を説得するか、全く別の視点で合意点を探すか、です。その三つ目の手法を考えてみましょう。

 

自分  「そうですか…ということはあなたは、『窓を閉めていたい』というよりは、『書類は飛ばしたくない』ということなんですね」
Aさん  「まぁ、そういうことね。あなたはどうして窓を開けたいの?」
自分  「なるほど… 僕の方は、『窓を開けたい』というか、一番大事なのは、『涼しい所で作業したい』ということなんですよね。」 
自分  「あ、それなら、『あなたの書類を飛ばさないで、僕が涼しいところで作業できる方法』があれば、いいんじゃないですかね?」
Aさん  「あぁ、それなら私も問題ないわよ。」 
自分  「そうだなぁ。何かいい方法あるかなぁ…」
図書館員 「隣の部屋は誰もいないので窓はご自由に開けて良いですよ!」 自分  「それだ!僕は隣の部屋に行ってきますね!」
Aさん  「いってらっしゃいー。図書館員さんありがとー」

 これはものすごく単純化した状況ですが、核心を突いています。ここで重要なのは、まず、お互いに相手の主張の「根拠」ではなく、根源的な「欲求」を確認しあっていることです。「根拠」と欲求のどちらであっても、それを理解するための方法が「どうして窓を開けたい(閉めたい)の?」という質問であることは変わりませんが、「根拠を問う」という意識の時は、あくまで根拠が支持する主張の方に主眼が置かれているのに対し、根源的な欲求と言っているのは、主張の背景にあるその要求自体に主眼が置かれていることを意味して、ここでは使い分けています。

 そうして次にあなたは、「窓を開けるべきか否か」という論点から視点を変えて、「書類を飛ばさずに自分が涼しく作業できる方法とは何か」という新たな視点を持ち出してくれました。これは両者の根源的な欲求をともに満たせるような革新的な基軸です。元々の論点だと、両者にとってはゼロサムゲームの勝負ですが、新しい論点の方は、両者にとってともに目指してみたい統合的な目標になっています。そしてオープンクエスチョンであるがゆえに、色んな選択肢が出る可能性を秘めており、今回は別の人間が「隣の部屋の窓を開ける」というアイディアを出してくれました。そうして、そのアイディアに両者は納得でき、無事に誰も不快にならない議論となりました。

 このようにして、ここで重要なのは、議論の参加者である論点について対立が起きた時、取るべき手段は、必ずしも論理的な主張をぶつけ合ってどちらが説得的かを争うだけではないということです。傾聴を通して元々の固定観念を打破し、お互いの根源的な欲求を理解し合い、それらをともに満たす統合的な目標を立て、協力して打開案を創出するということが可能な場合があります。このような方法は、細かい表現は異なっても、ほぼ同じような意味合いで、紛争解決や合意形成、交渉などの場面で活用されています(共創・コラボレーション・コクリエーションなど)。

 もちろん、今回は非常に単純化した状況で説明したにすぎず、複雑な利害や論点が絡み合う国際政治や、積年の怒りが相手への寛容心を妨げる紛争解決などの現場では、そう簡単にはいきません。それでも、このような視点を持つことで、相手を「論破すべき敵」とみなすのではなく、自分も相手もより大きなシステムの一部を構成しており、共に同じ問題に取り組む「仲間」なのだという意識から相手と関われるようになり、それが両者をともに満足させる結果をもたらす可能性があるということを、少なくとも忘れないでほしいのです。先ほどの話での、「刀を抜かずに、場を治める」という日本的な「和」の精神は、議論の場でこのような形で活かすことができるはずだし、そのような技と精神を持って世界の議論を無事に引っ張っていく日本人が、数多く誕生してほしいなと、私は願っています。

6.結びに代えて

 未熟な文章をここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。今回は紙幅と時間の都合で極めて入門的なことしか書けていないし、私自身もまだまだ試行錯誤のさなかにある初心者です。今回の文書で少しでも「議論」そのものの深みを感じられた方は、ぜひこれから自分自身のやり方で「議論の作法」を磨く旅に出てほしいなと、強く思っています。参考までに個人的に、議論の力をつけるのに良い方法かなと思うものを挙げると、

 1.議論が上手い人と積極的に議論する(場数を踏む)
     その人の議論の仕方を見ているだけで参考になります
 2.論理・議論についての文献を読んでみる
     論理の構造などがわかっていると、反論などはしやすいです
 3.人との議論の機会ごとに、準備の時に自分の意見を徹底して論理的に考える
     議題に沿った色んな文献や記事を読んで、自分で整理すると、その議題での色んな論点を先に踏まえたうえで、自分の意見を構築できます
 4.人との議論が終わった後に、フィードバックをもらう
     「さっきの私の議論の仕方について、アドバイスをくれませんか」と先輩に声をかけるのは原始的ですがとても有効です。 
 5.色んな知識人の記事や本を読む時に、その人の議論(思考)の仕方を意識する
     文章には基本的にその人の思考・議論の仕方がにじみ出ています
 6.積極的に他者との議論の機会を作っていく
     必ずしも学術的なこと以外にも、例えば就活のGDや何かのプロジェクトのミーティングでも力はつきます。特に自分がリーダー役をすると、自分が議論をまとめざるを得ないので、一番大変ですが力が付きます。

 フェイクニュースが飛び交う「ポストトゥルースの時代」などと呼ばれ、現代世界が真実や論理を必ずしも重要視しなくなっていることから、様々な混沌や対立が生まれてしまっています。皆さんが様々な機会を活かして正しく議論する力を磨き、世界を、調和させながらも前に推し進めていける人になることを、切に願っています。

 この文書も、第一版にすぎません。皆さん自身が、良い意味で大いに批判的にこの文書を読み、「誰かがばかなこと言ってるぞ!ほんとの議論の作法はこうだぞ!」と、より完成に近づいた第二版がいつか生まれると、私も嬉しいです。

 ※もしこの文書自身について何か意見や質問があったり、あるいは個人的な相談があれば、いつでも気軽に私(高浜)に連絡してください。私も修行の身なので、仲間がいるのはすごく嬉しいです。

参考文献

今回は、未熟な私なりに簡単に議論の作法をまとめただけであり、興味を持たれた方は、ぜひ以下の文献の中から興味のある本を読んでみてください。

アリストテレス『弁論術』 
  …「人を説得するには人としてどうあるべきか」を説く不朽の名著。
福沢一吉『議論のレッスン』
  …私が至極単純化して説明した論理の構造(主張とは、根拠とは)についてとても詳細に説明しています。
堀公俊『ロジカル・ディスカッション』
  …まとまらない議論をいかにして整理して結論に導いてくかというファシリテーター的視点でのおすすめです。
堀公俊「ディシジョン・メイキング」
  …最後の節で述べていたような、議論の対立からどのように調和的な創造へと導くかという視点を解説する良書です。
マーシャル・ローゼンバーグ『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』
  …この文書で取り上げた「根源的な欲求」をどうやって理解し、非暴力的なコミュニケーションをするかを心理学的に述べた良書です。
バーバラ ミント 『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』
  …少しだけ取り上げたピラミッドストラクチャーを中心に、如何にして論理的に思考するかを解説しています。
アーノルド・ミンデル「ディープデモクラシー」
  …対話を通して、真に民主的な状態をいかに作り出すかを探求する名著です。

上記は今回特に意識した文献ですが、他にも興味がある人向けに紹介しておきます。

香西秀信『反論の技術』
香西秀信『議論入門』
野崎昭弘『詭弁論理学』
瀧本哲史『武器としての決断思考』
瀧本哲史『武器としての戦略思考』

Special thanks 堺雅人さん

画像引用元

堺雅人さん 半沢直樹ver. :
http://hawaiian2006.dreamlog.jp/archives/cat_76857.html?p=2

堺雅人さん まるごと話せる人ver.
https://mantan-web.jp/article/20161025dog00m200032000c.html


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