がんになった時の気持ち、変化

たくつかと申します。

がん宣告を受けて、治療を経て、5年が経過しました。その当時から、心境の移り変わりを書いていきます。重たい話なので、あまり自己陶酔しないように客観的な目線を意識したいと思ってます。また、専門家ではなく、当事者なので、私のケースとなります。ご了承ください。

健康診断でがんの疑いがあるとされてからは、ショックというよりも、それが何であるかの方に意識が向いていました。というのも、ひとえに「がん」と言っても、出来た部位、種類、時間によって、生存確率や、治療法、治療が終わってからの予後、再発率がまったく異なるからです。

私が罹患した古典的ホジキンリンパ腫は、70種類に分かれる悪性リンパ腫の種類の一つで、悪性リンパ腫の10%程度で、残りの90%の非ホジキンリンパ腫と治療法や、予後も異なります。

なので担当医から、「古典的ホジキンリンパ腫」と宣告された時は、正直、ホッとしたのが本音です。というのも、調べる限り治療法のABVD療法が多くに採用されていて、セカンドオピニオンに悩まずに済んだからです。いろいろな治療法があるよりも、一つに絞られたことで安心しました。ABVD治療を始める前に、事前に1クールでのそれぞれの投与量を教えてもらえたことで、元々の薬の製造先の資料から、北米でも使用されており、一般的な療法であること、投与量が適切であることを自分で確認できたことが安心感を産みました。いまだに、使用したダカルバジンの名前や、オレンジの色などを思い出すと気持ち悪くなります。(書いている今も)また、想像以上に抗がん剤が引き起こす副作用を抑える、抗抗がん剤薬の効果は絶大で、投与した次の日などはひどい二日酔いくらいの状態で通勤していました。

働きながら、抗がん剤治療をしました。髪の毛も抜け出すので、自らスキンヘッドにしたことで、会社では私ががん患者であることが周知の事実となってました。30歳半ばだったため、「死ぬ人」「かわいそうな人」として見られ、避ける人もいました。当時、芸能人や有名人で、癌で亡くなる方が大きく取り上げられたり、その人の生き方を押し付けられたりもしました。個人的には「(違うよー、髪の毛が伸びたらこの人との接し方は変えよう)」と吐き気のなかで思っていました。中には、その人の親のがん患者の方の話を打ち明けてくれたり、面と向かって応援してくれる人がいたり、人を見る目が、接し方が大きく変わるきっかけになりました。そうやって普通の生活を何とか過ごせたのも、想像以上に抗がん剤が引き起こす副作用を抑える、抗抗がん剤薬(?)の効果は絶大で、投与した次の日などはひどい二日酔いくらいの状態で通勤出来ました。

勤務地は東京のど真ん中です。働き続けれたことは、まず上司の方々の理解があったこと。治療を始める前に「会社に来ることが気晴らしになるかもしれないから、来れる範囲で来たらいい」と言っていただけた事で、続けれました。中には、「治療に専念した方が・・・」と声を掛けてくれる人もいましたが、それは的外れでした。会社の制度として休職というのはありましたし、視野にも入れましたが、やはり「病人、がん患者」となって、世間から離れるのは復帰するのはなかなか難しいだろうなと思ったからです。事実、抗がん剤を投与した次の日などは体力的にきついので、かなり辛かったですが、朝、一旦、通勤列車に乗ってしまえば、嫌でも忙しさに巻き込まれて忙殺されてしまうので、塞ぎこまずに済んだのです。そうやって社会と繋がり続けたことで乗り切ることができました。なので、なるべく早期にあきらめるのではなく、一旦、やってみて無理なら、休めばいいと思います。

家族の支えもやはり大きかった。妻には本当に感謝しています。彼女あっての自分だとつくづく感じました。治療の辛さで当たったこともあり、夫婦仲も一時は修復不可能かと思えるほどにまで至りましたが、色々な悩み事を闘病期間を平行して経たことで、より強い関係に一段上がれたように思っています。抱える不安の中、子供に毎日笑顔で接してくれている妻を見て、「もし、逆の立場だったら」と考えて、態度を改めた事は、こうならないと気付けなかったのかと、自分の中で情けなくもありました。そして、より一層、大切にしないとと思ったタイミングでした。

子供の存在も大きかったです。私が中学生の時に母親から、

「お父さんがしてくれていることを、将来、あなたも自分の子供に出来るようにならないといけないよ」

と言われたことがあり、子供を授かって以来、その言葉を糧として父親をやってきたので、突然、断たれることもあるんだという不安に苛まされた事もありました。それから、子供との一日一日、一瞬一瞬を大切にし、子供に話す言葉にしても、きちんと考えて話すようになりました。今更ながらに分かりきったことを再確認するいいきっかけになりました。

自分の心境としては、前向きに思えている時と、後ろ向きな時との浮き沈みがすごく激しく、ネガティブな時は、自分が病気になったことが悔しかったです。それが一番大きかったです。「なぜ自分が」と思い、過去を洗いざらい思い返しては、何の罰なのかと思い悩みました。そして、「なぜお前じゃなくて、俺が」という発想に至り、出勤時や、普段の生活の中で、周りにいる人がすべてが眩しく見え、自分一人だけが汚く、ドス黒く感じました。しばらくそれが伝染るんじゃないかと子供と手を繋げなかった時期がありました。

こういった心境や境遇を経て、かなり未来型思考になったように思います。辛い時は未来に意識を飛ばして、「昔、こんなことがあったなと思うときが来るんだろうな」と冷静に楽観的に見れるようになりました。また、子育ての面でも、余裕が生まれましたし、将来の余白を広げるように心がけるようになることが出来ました。

しかしながら、「がんになってよかった」とは、思わないですし、二度とああいった辛い思いをしたくないし、周りにもさせたくはないですね。それに再発に対する恐さ、脅えも正直あります。今まで、意識無く歩いてきた道が突然、ぬかるみだらけになった気分です。これほど不自由な気分は無いです。

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