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きょうの難経 十八難(1) 2021/11/11

十七難を飛ばして、十八難に入ります。
一応、十七難の内容に触れておくと、「脈証と病症が一致すれば予後は良好、不一致ならば予後不良である」ということを言っております。

というわけで十八難。
ここでようやく五臓(五行)と十二経脈への接続が語られます。
さらには、今迄みてきた寸関尺(×浮中沈)の脈が、天人地の三才を通じて、人体の上中下(三焦)につながっていきます。
さらっと書いてありますが、結構重要なことを語っている部分だと改めて思いました。
それでは本文を見て見ましょう。

十八難曰
脈有三部 部有四經 手有太陰 陽明 足有太陽 少陰
為上下部 何謂也


手太陰 陽明金也
足少陰 太陽水也
金生水 水流下行而不能上 故在下部也
足厥陰 少陽木也 生手太陽 少陰火
火炎上行而不能下 故為上部
手心主 少陽火 生足太陰 陽明土
土主中宮 故在中部也
此皆五行子母更相生養者也 

難経はよく五行説の影響を強く受けていると言われますが、実は「五行」というワードが出てくるのは十八難のこの部分だけなんですよね。ちょっと意外です。
五行といえば、尚書(書経)洪範のこの部分が有名でしょうか。

五行 一曰水 二曰火 三曰木 四曰金 五曰土
水曰潤下 火曰炎上 木曰曲直 金曰從革 土爰稼穡
潤下作鹹 炎上作苦 曲直作酸 從革作辛 稼穡作甘

本文の「水流下行而不能上」は「潤下」だし、「火炎上行而不能下」は「炎上」なので、やはりつながりを感じます。
また、「金生水」や、木から火が生じる、火から土が生じるとしていますので、典型的な五行の母子関係を前提としているのですが、最後に「土主中宮」としていますので、土を中央に置くタイプの五行論も前提にしているようです。(※記事冒頭の写真参照)
この辺りの柔軟性を私は好ましく感じました。時代がくだるほど、理論が細かく固定的になっていくというか。そのあたりは今度の白衣セミナーの際にも言及する予定です。
それはさておき。
次の段で、天人地から人体の上焦、中焦、下焦につなげていくためにも、土は中央の方がつながりがよいと作者が判断したのかもしれません。

脈有三部九候 各何所主之


三部者 寸 關 尺也
九候者 浮 中 沈也
上部法天 主胸以上至頭之有疾也
中部法人 主膈以下至齊之有疾也
下部法地 主齊以下至足之有疾也
審而刺之者也

ここにきて、『難経』でいう「三部九候」が、素問の「三部九候」と異なっていることが明確になります。
素問の「三部九候」は人体を上中下の三部に分け、それぞれに脈をうかがう天人地の三部を設定していました。
それに対し、『難経』十八難でいう「三部九候」は手首の橈骨動脈拍動部を寸関尺の三部にわけ、それぞれに脈をうかがう深度として浮中沈を設けています。意図的なのかは分からないのですが、同じ言葉を使って違うことを言っているので非常にまぎらわしいところです。
後世の王叔和や李時珍、張景岳らはここから、いわゆる「六部定位」脈診につなげていくわけですが、『難経』自体はそのような展開をしていません。
むしろ、素問の「三部九候」につなげるかのように、人体を上中下の三部に分け、後の難で提示する三焦につなげるような論を提示しています。
ひょっとすると作者は素問の「三部九候」を包含する形で、手首の寸関尺で同様の診かたができる、ということを主張しようとしたのかもしれません。

ちなみに、天地に関しても、尚書(書経)の泰誓上に以下のようにあります。
惟天地萬物父母 惟人萬物之靈

これはもちろん、周易序卦伝にある以下の部分と共通しているように見えます。
有天地然後有萬物 有萬物然後有男女

人体を自然の一部としてとらえる古代中国の考え方は、人体を考える上でも色濃く投影されていると言えるでしょう。

今回はここまでになります。
最後までお読み頂きありがとうございます。





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