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きょうの医界の鉄椎 2021.12.15

第十九節、「後鑑」の冒頭部分です。
和田先生が失敗した症例を提供してくれています。
先人の失敗を糧にして、後に続く人々の鑑(かがみ)にしてほしい、という切実な願いがこめられているようにも思います。
少し長いですが、是非ご一読ください。

信州北佐久郡柳沢氏は余が旧知なり。同氏の令妹年十八歳。
出でて同郡依田氏に嫁す。幾何もなくして経水来らざること數月。
加うるに咳出づ。
一医以て妊娠となし、一医以て肺結核となし、且つ曰く、病原容易ならず。宜く上京して良医の治を請うべしと。
乃ち行李を修めて上京す。
余時に業を下谷に開く。
投宿の夜、使を遣わし参考の為め一診せんことを乞わる。
余、直に赴きて之を診す。
体格中等、栄養佳良、血色潤沢、発熱なし。
胸部を検するに聴診上少しく水疱音を聞くのみ。
打響の変化なし。
時々咳出で硝子様粘痰を喀出す。
腹部鞕満すと雖も堅塊を蔵せず。
食欲稍減ぜるのみ。
利尿、便通殆ど故障なし。
経閉凡そ六ヵ月余に及ぶ。
余、診し終わりて曰く。
「妊娠にあらず、肺結核にあらず。経閉にして腹満し、因りて圧迫を肺部に及ぼし咳をして出でしむるなり。何ぞ悪性難治の病となさんや」と。
其の翌日、某内科の大家診して肺結核となす。
其の翌日、又某婦人科の大家診して妊娠にあらずとなす。
両大家の所説を齎し来りて余に商る。
余、答えて曰く
「其の内科の大家肺結核と為すと雖も、恐らくは結核にあらざるべし。乞う検痰を託せよ」と。
乃ち顕微鏡検査院に託して検痰せしむれば則ち菌なきを報ず。
此に於て治を余に託さる。
投薬一ヵ月許にして咳全く止み頗る佳快を告ぐ。
余、由て方を改め通経せしめんと欲し大黄牡丹皮湯を與う。
凡そ三四日、婦人間欠性頭痛を訴えること頻なり。
余、当時其の解を得ずして頗る其の治法に苦しむ。
医、内心不安あり。
病者、何ぞ惑はざるを得んや。
遂に竊に他医を引きて之を診せしむ。
医、蛔虫の所為となし、駆虫剤に兼て甘汞を投ず。
其の夜、婦人厠に立つこと二三行。途に卒倒す。
是より人事不省に在る事凡そ十時間。
遂に担うて某病院に入らしむ。
後、二十日許にして遂に易簀(えきさく)す。
死に至る迄頭痛止まざりしと云う。
余、当時適治を得ずして人を誤り、悔恨止まず、書を擲ち薬剤を捨て、医を廃せんと欲し、怏々たるもの累日。
柳沢氏、一日余と会し、憂色を抱けるを見て励して曰く。
「子、嘗て参禅せずや、人は各其の所信に向て猛進すべきのみと。」
此の言を反復して沈思数日。
切に自ら悟るらく学びて精しからざるの致す所なり。
方書薬物何の罪か之れ有らんと。
発憤して方書を究めんと欲す。
後、尾台榕堂翁の方技雑誌を読み、麾下川上氏室治験の一節に至る。
曰く、
 麾下川上氏室、鼓脹を患い薬治効なく、腹脹漸々甚し。
 余、之を診するに下薬より外に致し方なきゆえ其の訳を語れり。
病人云う、今度は床に就く心得にて勉強して薬を用いんと。
故に先づ試に大黄牡丹皮湯を硝黄を減じて投じたり。
3貼用いると果たして頭痛、眩暈、悪寒腹痛を発して大病人となれり。
是非なく当帰芍薬散に虎杖煎を用う。
小溲快利して腹張大に軟和し、経血順利して大に快しと云う。云々と。

比に至りて余、私に惟えらく。
誤治して人を傷つける者にあらずと雖も。
不学の為、惑を移して婦人をして非命に斃れしめたるは事実なり。
十数年後の今日と雖も、想いて此に到れば慄然として肌に粟起するを覚えざるなり。
因りて記して後鑑に具う。


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