見出し画像

きょうの難経 五十八難 2022/1/20

この難は、「広義の傷寒」と「狭義の傷寒」が出てきているところからも分かる通り、寒熱の病がテーマとなっています。そのため、素問・霊枢の内容と傷寒論・金匱要略の内容が交錯する、非常に重要な篇と言えると思います。少し長くなりますが、是非最後まで目を通してみてください。

五十八難曰
傷寒有幾 其脈有變不


傷寒有五
有中風 
有傷寒
有濕溫
有熱病
有溫病
其所苦各不同

中風之脈 陽浮而滑 陰濡而弱
(中風の脈は、寸部では浮で滑、尺部では濡で弱)
濕溫之脈 陽濡而弱 陰小而急
(湿温の脈は、寸部では濡で弱、尺部では小で急)
傷寒之脈 陰陽俱盛而緊濇
((狭義の)傷寒の脈は、寸部尺部ともに盛で緊、濇)
熱病之脈 陰陽俱浮 浮之滑 沈之散濇
(熱病の脈は、寸部尺部ともに浮で、表層では滑、深層では散、濇)
溫病之脈 行在諸經 不知何經之動也
各隨其經所在而取之
(温病の脈は、それぞれの経絡にあるので、まず変動がある経絡を知る必要がある。その上で変動のある経絡の脈象を取る)

まず、「広義の傷寒」については、素問の熱論が参考になると思います。

黃帝問曰 今夫熱病者皆傷寒之類也 或愈或死 其死皆以六七日之閒
其愈皆以十日以上者 何也 不知其解 願聞其故
(一般に、発熱の病はいずれも傷寒の類に属する。しかし、その中でも治ることもあれば、死ぬこともある。しかも、死ぬ場合には往々にして六・七日の間に死に、十日以上のときには治る。これはどうしてなのか。)

歧伯對曰 巨陽者 諸陽之屬也 其脈連於風府 故為諸陽主氣也
人之傷於寒也 則為病熱 熱雖甚不死 其兩感於寒而病者 必不免於死
(足の太陽経は諸陽を統率しています。その経脈は風府に連なり、頭や背中の表面を覆っています。つまり太陽は諸陽の主気として、一身の表を主っているのです。もし、人が寒邪に冒されますと熱がでますが、熱はひどくても死ぬことはありません。しかし陽経と陰経が同時に寒邪に冒されますと、このときには死を免れることはできません。)

ここでは、足の太陽経が陽経を統率していること、陽経と陰経が同時に寒邪に冒されると予後が悪いことが述べられています。

また、難経四十九難では「五邪」という形で狭義の傷寒が出てきます。

四十九難曰 有正經自病 有五邪所傷 何以別之
然 經言憂愁思慮則傷心
形寒飲冷則傷肺
恚怒氣逆上而不下則傷肝
飲食勞倦則傷脾
久坐濕地強力入水則傷腎 是正經之自病也
何謂五邪

有中風
有傷暑
有飲食勞倦
有傷寒
有中濕
此之謂五邪

さて、中風については、同じような脈象と病態が傷寒論の桂枝湯の条文に見られます。

太陽中風 陽浮而陰弱 陽浮者熱自發 陰弱者汗自出
嗇嗇惡寒 淅淅惡風 翕翕發熱 鼻鳴乾嘔者 桂枝湯主之

同様に、狭義の傷寒については麻黄湯の条文があります。

太陽病 脈浮緊 無汗 發熱 身疼痛 八九日不解
表證仍在 此當發其汗 服藥已微除 其人發煩目瞑
劇者必衂 衂乃解 所以然者 陽氣重故也 麻黃湯主之

このように、難経の五十八難の内容と、傷寒論が結び付けられて歴代の医家によって解釈されてきたようです。

一方、熱病については、霊枢の熱病篇が詳しいようです。

熱病三日 而氣口靜 人迎躁者 取之諸陽 五十九刺
以寫其熱 而出其汗 實其陰 以補其不足者 身熱甚 陰陽皆靜者 勿刺也
其可刺者 急取之 不汗出則泄 所謂勿刺者 有死徵也
(熱病発病後三日たち、気口の脈象が静で変わらず、人迎の脈象が躁で安定しないものは、各陽経に治療を施すべきである。熱病を治療する五十九の兪穴の中から経穴を選び、熱邪を瀉し汗を出し、同時に三陰経を充実させ、陰の不足を補うのである。身体の熱は甚だしいが、人迎・気口の脈象がみな平静であるのは、脈と証が不一致の悪い証候であるので、鍼を刺してはいけない。鍼を刺してもよい病証のものには、即刻治療を施すべきで、たとえ汗が出なくても邪熱は外へ泄れるはずである。「刺すことなかれ」といったのは、脈と証が一致しない死証が現れているからである。)

また、温病といえば素問の生気通天論でしょう。
是以春傷於風 邪氣留連 乃為洞泄
夏傷於暑 秋為痎瘧
秋傷於濕 上逆而欬 發為痿厥
冬傷於寒 春必溫病
四時之氣 更傷五藏

冬に寒に傷られると、春に必ず温病を病む、とあります。

以上みてきたように、5種類の傷寒を挙げた上で、次の段に入ります。

傷寒有汗出而愈 下之而死者
(傷寒に汗出でて愈え、これを下して死する者あり)
有汗出而死 下之而愈者 何也 
(汗出でて死し、これを下して愈ゆる者あるは何ぞや)


陽虛陰盛 汗出而愈 下之即死
(陽虛陰盛ならば、汗出でて愈え、これを下さば即ち死す)
陽盛陰虛 汗出而死 下之而愈
(陽盛陰虛なれば、汗出でて死し、これを下さば即ち愈ゆ)

陰陽の虛盛を間違えて発汗法や瀉下法を用いると患者を死なせてしまう、とさらっと書いています。

まず、鍼灸だとつい虚実の補瀉で考えたくなりますが、ここは手段として発汗法や瀉下法について述べているところなのでグッと堪えましょう。

素問の調経論では、陰陽の虛盛と内外の寒熱を次のようにまとめています。

帝曰 經言
陽虛則外寒 陰虛則內熱
陽盛則外熱 陰盛則內寒
余已聞之矣 不知其所由然也
歧伯曰
陽受氣於上焦 以溫皮膚分肉之閒 令寒氣在外
則上焦不通 上焦不通 則寒氣獨留於外 故寒慄

帝曰 陰虛生內熱柰何
歧伯曰 有所勞倦 形氣衰少 穀氣不盛 上焦不行
下脘不通 胃氣熱 熱氣熏胸中 故內熱

帝曰 陽盛生外熱柰何
歧伯曰 上焦不通利 則皮膚緻密腠理閉塞 玄府不通
衛氣不得泄越 故外熱

帝曰 陰盛生內寒柰何
歧伯曰 厥氣上逆 寒氣積於胸中而不寫 不寫則溫氣去
寒獨留 則血凝泣 凝則脈不通 其脈盛大以濇 故中寒

ここでは、陰陽の虛盛を分けて述べていて、難経の「陽虛陰盛」のように組み合わせてはいません。

一方で、難経のこの部分と同様の表現が宋版傷寒論の「傷寒例」に出てきます。

夫陽盛陰虛 汗之則死 下之則愈
陽虛陰盛 汗之則愈 下之則死
夫如是 則神丹安可以誤發 甘遂何可以妄攻
虛盛之治 相背千里 吉凶之機 應若影響 豈容易哉
況桂枝下咽 陽盛則斃
承氣入胃 陰盛以亡

ここで問題になるのが、後漢~三国の頃の栄養状態と、約千年後の宋の時代の栄養状態の違いです。教授からもご指摘がありましたが、傷寒論成立当時の栄養状態の悪い体にとっては、傷寒(外邪)の侵入を表に受けた場合、そこでほぼ勝敗が決してしまう。兵力の少ない国が攻められた時、野戦で一気に勝敗が決するようなもので、そこで使う作戦(発汗法や瀉下法)を誤れば即座に敗れてしまう(死)。
一方で、宋代の頃のようにある程度栄養状態が良いと、兵力もある程度あるので、野戦で負けても、まだ城(陰)に籠って持久戦を戦うことが出来る。
当然、現代の私たちはさらに栄養状態が良いので、その事を念頭に置いて臨床に用いる必要がある、とのことでした。

「当時はどうだったのか」と「今ならどうするか」の両方の視点を持ちながら、古典にあたる必要があることを端的に教えてくれる部分かと思います。

ちなみに、ここでも軍事に例えて議論がされましたが、『孫子兵法』の虚実篇に関連がありそうな一節があり、興味深いです。

夫兵形象水 水之形 避高而趨下
兵之形 避實而擊虛 水因地而制流 兵因敵而制勝
故兵無常勢 水無常形
能因敵變化而取勝 謂之神
故五行無常勝 四時無常位
日有短長 月有死生
(そもそも、軍の形は水に喩えることができる。水は高いところを避けて、低いところへと流れる。軍も敵の兵力が充実した「実」の地を避けて、手薄になっている「虚」の地を攻めることで勝利を得る。水が地形に応じて流れを決めるように、軍も敵の動きや態勢に応じて動いて勝利する。したがって、軍には一定の勢いというものもないし、常に固定の形というものもない。敵の動きに応じて柔軟に変化して勝利をもたらすことを神業と言うのである。これは、五行にも常に勝つものはなく、四季にも常に一定のものはなく、日の長さにも長短の変化があり、月にも満ち欠けがあるようなものだ。)

さて、最後の段は、寒熱の病の位置と病症についてまとめています。

寒熱之病 候之如何也

皮寒熱者 皮不可近席 毛髮焦 鼻槀 不得汗
(皮、寒熱する者は、 皮、席に近づくべからず、毛髮やつれ、鼻槀れ、汗するを得ず)
肌寒熱者 皮膚痛 唇舌槀 無汗
(肌、寒熱する者は、皮膚痛み、唇舌槀れ、汗無し)
骨寒熱者 病無所安 汗注不休 齒本槀痛
(骨、寒熱する者は、病みて安ずる所なく、汗注いで休まず、 齒本槀れ痛む)

※槀は白骨化した骨、枯れた木。

皮、肌、骨を、表、半表半裏、裏と対応させますと、以下のようになります。

皮に寒熱がある → 桂枝湯証、麻黄湯証
肌に寒熱がある → 小柴胡湯証
骨に寒熱がある → 承気湯証

長くなりましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?