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言葉で人を照らそう

 僕は、もうすぐ、30歳になる。そろそろ、「人生の指針のようなものを決めなくちゃいけない年なのかな」、なんてことを最近よく思う。未だ、〝何にもなれていない自分〟に強い焦燥感みたいなものが重くのしかかる日々だ。子どもの時から人と話すことが苦手だった。とはいえ、別に不登校だったり、友達がいなかったりしたわけではない。父親の仕事の都合で、転校が多かった。その場所、その場所で当たり障りなく、友達を作り、当たり障りのない毎日を送ってきたのだ。
 

 そんな毎日が大きく動いたのは、小学6年生だった。NYで起きた同時多発テロ(9・11)。テレビの前で、刻々と変わる状況を伝える記者という職業に憧れを抱いたことを鮮明に記憶している。「記者って、なんか、かっこいいな」。その時、父に何気なく質問した。「記者って、どうやったらなれるの?」。父は答えた。「色んな人のことを深く知ることが大切なのじゃないかな」。その日から自分なりに人と深く関わるようになった。多くの人と関わりたい一心で、周りが地元富山県の大学に進むなかで、東京に一人で上京してきた。貧困に苦しむ人、ハンセン病患者、夢を追いかける人、起業家・・・。東京には、自分の想像よりもたくさんの人がいた。たくさんの人生、ストーリーがあった。そんな人生を聞くことがすごく楽しかった。目を輝かせている自分がいたように思う。
 

 すんなり、記者という仕事に就ければ、良かったかもしれない。でも、夢を諦め、自分はなぜか、大手金融業の道に進んだ。もちろん、その時の自分が必死で出した結論だったのかもしれない。毎日必死に働いた。仲間にも恵まれた。使命感みたいなものもあった。でも、なぜか、心は次第に疲れていった。振り返れば、ただ、ただ、逃げただけなのかもしれない。でも、今は、寄り道のない人生なんてつまらないよね、とも思える。そして、迷走していた26歳の自分を拾ってくれた神奈川県の地域新聞社で一応の記者となり、3年が過ぎようとしている。毎日、様々な人と出会い、記事を書く。人に会うのは、好きだけれど、正直、文章を書くのは苦手。それが私の本音だ。だからこそ、当然、苦労もする。言葉って難しいな。伝えるって難しいな。地域課題をどう伝えよう。どうこの人を伝えれば良いのか。毎日毎日頭を抱えて悩んでいる。

 
 そんな時に飛び込んできたのが「言葉の企画」だった。「言葉の力を信じている」。HPにはそんな言葉が並んでいた。頭よりも足が先に動くのだけは私の唯一の取柄かもしれない。すぐに申し込みを決めた。それから半年間。コピーライターを務める阿部さんと72人の受講生と「言葉」を考える日々が始まった。また、受講生の発案による「言葉の日を作ろう」という課外プロジェクトも立ち上がり、広報活動にも奔走した。広報メンバーとのLINEグループには、「言葉の日をいかに伝えるか」、言葉に向き合う仲間から怒涛のメッセージが届き続けた。打ち上げの飲み会の時でさえ、「ここの表現どうしよう?」など百花繚乱の話し合いも。ツイッターにも言葉の企画の振り返りがずらりと並ぶ。本当にみんな、言葉に本気だったよね。このメンバーと半年間を過ごせたことは、大切な宝物のように思う。

 そんな日々を経て、私は、どこへ向かおうか。

 最後の課題は、「自分の企画・あなたは、どんな企画をする人になりますか」。30歳を前にした今の僕の答えは、「書くことで光を当てる人になる」だ。阿部さんは、講義で言った。「書くとは、Writingでもあり、Lightingでもあるのだよ」と。この言葉が私に最も刺さった。なぜか。世の中には、たくさんの人がいる。何かを成そうと必死にもがく人。不条理のなかで苦しむ人などをたくさん見てきたからだろうか。そんなたくさんの人の人生に耳を澄ませ、書くという行為を通じて、光を当てられる人生を送りたい。言葉は人を傷つけることもある。でも、言葉は人を抱きしめる。時間をかけ、手間をかけ、良いと信じる言葉を届け、多くの人を照らせたら、僕はとてもうれしい。阿部さんが言葉をくれたように、私も言葉を贈ることができるように今後も頑張りたいと思うのだ。 

阿部さん、受講生のみんな、

素敵な言葉・思い出をありがとうございました。  坪田拓郎

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