言葉はいつもあいまい(発言の解釈について)

演劇ワークショップでよく「コミュニケーションは双方向」と説明しています。相手が話しているからと自分が何もしなくていいわけではなく「聴いていること」を表現する必要があります。聴きながらしゃべり、しゃべりながら聴く。情報を発しながら受け取り、受け取りながら発する。常に同時に行われているという意味の言葉です。
それとはまた違う話として、相手の発した情報を受け取るときには常に「自分の解釈」が働いているという点でも双方向といえるでしょう。

「あーもうこのケーキ食べ飽きたわー」というセリフがあったとしましょう。これをどう解釈しますか?どういう印象をもったでしょうか?
もちろん、話したときの状況や表情、声色といった情報によって解釈の仕方は変わってくると思います。そういった情報がなく文字情報だけだった場合、私が想像する≒私が解釈する幅が大きくなります。

解釈①「このケーキ食べ飽きたからもう食べたくない。欲しくない」
解釈②「このケーキ飽きるくらい食べられて幸せ。以前はこんなに食べられなかったのに転職して収入増えたから飽きるくらい食べられる。本当にうれしい。それにいつもいっしょに食べにきてくれる友人もいるし。感謝してる。がんばってきてよかった。もっとがんばろう」

どう受け取るかは人によって千差万別でしょうがとりあえず2つ書いておきました。これはどちらもおかしくない解釈だと思います。
ある言葉の裏にある真意や感情のパターンは無限にあります。無限の中からその意味を選び取ってきているのは自分です。つまり相手がどういう意図で発言したのかを決めているのは「私」です。「私がどう受け取りたいか」という願望が働いていることに気づかず、相手の発言の意図を決めつけてしまっては、永遠に自分ひとりの世界から抜け出せないと思います。

解釈を選んだときに「私がこう受け取りたかったんだ」という自省を持っておくことで自分で自分の一面を知ることができますし、コミュニケーションで齟齬が生じたときにどこで食い違ったのかを確かめる道しるべにもなります。




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