分かり合えなくても一緒に居たい人

‪四、五回バンドの解散を経験している。
高校生ぐらいからバンド活動をしているせいだ。

今思うと「解散」は分かり合えないことを学ぶタイミングだったように思う。

仕方ないことだが、「分かり合えないまま進む」ということはできなかったのだろうか、と考えてしまう夜がある。

‪あれから人生をしばらくやってきた。

いろんな集団に属してきたが、会社も家族もバンドも恋人も親友も「分かり合える前提」で進むとうまくいかないことが分かった。

それでいて「分かり合えなくても一緒に居たい人間」はたくさんいた。

僕たちは決して「分かり合えるから一緒にいる」というわけではないのだ。‬分かり合えなくても、理解できなくても、一緒にいたい人間なんて山盛りだ。

そのために必要なスキルが「尊重」だ。リスペクトである。

逆に言えば、分かり合えていたとしてもリスペクトが無いと、うまくいかないのだ。

まず「歩み寄ろう」という気持ちを持つだけで可能性が生まれる。

後は相手次第だ。相手が受け入れなければ、関係は終わりだ。だけど、相手が歩みを受け入れてくれれば関係は存続する。

尊重してもダメならば諦める。しかし「分かり合えない」ぐらいで諦めていては、キリが無い。

それぞれに事情があって、それぞれに大切なものがあり、それぞれに許せないものがある。

僕たちは一人ぼっちで、それぞれの問題に向き合っていくのだ。どうあっても死ぬときは独りだし、他の誰かにはなれない。

人生、独りなのだ。

だからせめて、一緒にいたいひととは隣り合っていたいではないか。


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