見出し画像

自分にとっての普通が相手にとっての異常

自分にとっての普通が相手にとっての異常であることが往々にしてある。自分にとっての「なんでやねん」が「君のこと見てるよ」というメッセージだが、相手からしたら叱責や注意として聞こえたりする。

表現の世界においてはなおさら顕著だ。そのひとの音楽にとっては普通だけど、対バンにとっては異常だということが多い。全然MCのないバンドとMCありきのバンドがいることもそうだし、演奏する音量もそれぞれの「常識」がある。

「表現の世界において同業者はいない」というけれど、本当にそう思う。「業界あるある」でマウントを取られがちな世界でとあるけれど、あまりにテンプレライクになると、ものを作る意味自体が消失する。

久しぶりに真昼のコンビニでキレまくっているおっさんを見た。コーヒーが出てこないそうだ。僕も経験がある。たまに壊れるのだ、あのコーヒーを出す機械は。
それにしても家族を殺されたばりの怒りだった。「こいつは怒りすぎだろう」と思ったが、あくまでこれは自分の普通であり、おっさんの普通は違う。

コーヒーマシンが壊れても僕は怒らないが、おっさんからしたら不思議なのかもしれない。

何で自分は怒るだろうと思ったので振り返ってみたが、今年怒った案件を集約したらすべて二つだった。

・侮辱系
・伝達事項を聞いたふりをされてすっぽかされる

「ミスられる」や「騙される」や「傷つけられる」、「思い通りにいかない」という件については、あまり怒りが沸いてこない。おっさんはここらへんでキレていることが多そうだ。僕はむしろ「ナメられる」という相手に油断される状態のほうが嫌らしい。
ここにきて、いろんなことをヘラヘラと楽しくやり過ごせる力の強大さを感じる。せせこましいと孤独が強くなるように思う。大人になれば「今ヒマ!?」と連絡を取れる相手が増えるような気がしていたのだがそうでもない。世知辛い。ただでさえ寒いのに。


音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!