枚数自慢、異性関係なら人数自慢。数字が誇りになると風情がなくなる
慣れ親しんだもの、いつまでもあると思っていたものがいきなり失くなる。
感染者が増えているが、病毒性は少し落ちて、諸外国ではマスクをしているひとも見かけないみたいだ。
それにしても「当たり前がいきなり失くなる」を思い知らされた二年間だった。すべてを滅ぼすものは災害、ウイルスに限らないが、消えるときは消えるのだなと痛感した。
そのせいか新しいものについていけない自分の頭の固さも悩ましかった二年となった。新しいコンテンツに心震えるよりも、今あるものの大切さを感じてばかりだった。
鬼滅の刃もチェンソーマンも3巻で挫折してしまった。代わりにこち亀を読み返していた。
今さらだがGoToを未だに理解していないし、どこにも行かないまま歌舞伎町にばかり居る。
『香水』という曲も未だにフルコーラスで聴けていない。バンアパを再生する頻度が増えた。
年をとったのか、擦られまくった琴線のツボにクセがついてしまったのか。そこ以外を押されても鈍感になっているように思う。最新以外ばかりがグッと来て仕方ないのだ。
すべて滅ぼされると思うと、何もかも消え失せると思うと、今この手にあるものがやたらと恋しくなる。「あした失くなるかもしれない」というだけで、掴んだ残骸の感触が淡くなる。掴めていない気すらする。
たぶん知っているものばかりリピートしているのは、悪いことじゃないのだ。
東京に巣食うひとの「新しいことを吸収しないと成長しないよ!」も分かるが、「黙れ」と言いたい夜もある。
案外、口の中のスルメがまだ噛みきれていないと気付く日ばかりだ。まだまだ味がする。
100枚のアルバムを1回聴くよりも、1枚のアルバムを100回聴き、その100回目じゃないと流れない涙がある。枚数自慢、異性関係なら人数自慢。数字が誇りになると風情がなくなる。
聞き手としてのコンディションは常に変わる。エモい夜と賢者モードの昼間に挟まって僕たちは歩いている。
「新しいものを作っていくのに、絶対に新しいものを知らなくてはいけない」というわけでもない。
ここんとこ、懐古が自分を救う夜ばかりだ。読んだことある本、聴いていたバンドをもう一度だ。
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