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まわりに応援、味方してもらえるように生きていかないといけない

初対面のバンドマンと大量に顔を合わす。週に10人を超え始めた。知らないひととばかり会う生活である。

音楽家以外にもニート、プロボクサー、エリート女史、無職、自衛隊、アメリカの寿司屋、武将の末裔、女性用風俗トップランナー、ナンパ師、ひき逃げ犯などとお喋りした。

みんなそれぞれの夢希望、願望を抱えてやってくる。

シンプルに仕事をしたいひと、起業がしたいひと、バンドが解散しそうなひと、脱退したいひと、組みたいひとなど。年齢も20歳から55歳ぐらいまで千差万別。

初対面ゆえに見えてくるものがある。

たとえば「お金への考え方」だ。これは顔なじみや深い関係だと見えづらいものだし、初対面ゆえの印象、話題だからこそ感じ取れるのかもしれない。

仕事をしたくて僕のところに来るひとが大半なため、どうしてもお金の話になる。貸してくれという輩もいる。

この「貨幣制度」に対してどういった考え方を持っているかというのは、わりと人格そのものが露呈する。

「貨幣制度」というものはすごいもので、たとえば宗教戦争レベルでモメても手打ちにすることすら可能だ。日常レベルでも給与、借金、貯金、投資、消費、寄付など触れ方も多種多様となる。

バンドマンは「返さないつもりで借りる」という主義思想を持つ者が一定数いる。非常にデンジャラスなので、若い女性陣はぜひ近づいてほしくないのだけれど、何が危険って本人たちをも蝕む生き方だからだ。

こういう消費者金融、友達、両親、彼女への借金が150万オーバー級の怪物が僕のところへ大量にやってくる。

僕の会社で働いたことで復活してくれる人間もいるし、「月収90万円稼ぐのに水道代が払えておりません」という復活しているのか、もっと深刻に死んでいるのかさえ分からない人間もいる。

たくさん稼いでも取り扱い方を知らなければ、自分を壊すだけのものになってしまう。

こういった貨幣制度にやられてしまったひとに「貧乏は迷惑のシンボルであり、証明」という話をすることがある。

「音楽をやっている20代」なんて生き物は貧乏であることが多い。

仕方ないと思い込んでいるし、まわりがわりを食っても仕方ないとも思っている。僕もゴリゴリにそう考えて生きていた。

でもこれはただの現象として整理すると、「与えてないから返ってきていない、他者から貰いっぱなしだから発生している現象」だということが分かる。

なぜなら同じような生き方をしていても豊かなバンドマンというのが、ちゃんといるからだ。数多くはないけれど、自分とはまるで違う感覚だった。

彼らはふだんから妙に与える姿勢が強かった。反して僕のような貧しい人間はとにかく与えるのが嫌でたまらなかった。ふりかえると世界、社会、現実に対する甘えの証拠とも言える。

この「役に立つ量と経済レベルを照らし合わせる感覚の鈍化」は年をとるほどに差が顕著になってくる。

先日、50代でめちゃくちゃ甘えている人間とも会ったけれど、感情そのものが総毛立つような不快感だった。初対面なのに「こいつ地獄に落ちてくんねーかな」という気になった。ずっと「〇〇してくれない」「〇〇されなかった」という日本語を使う男だった。

息を吸うように他人に甘えている成人男性というのは、それだけで地獄落ちを望まれることがある。実際に社会は彼を地獄へと落とすためのアクションは起こさないが、決して応援も味方もしない。初対面の僕ですらそうなのだから、ふだん周囲に助けられているはずがないのだ。

反対に「なんか応援したくなるやつ」というのはそれだけで強い。というか人間、まわりの応援、助けがないと何もできない。自分一人の力なんて小さすぎるぐらい生きるってキツイ。

ならばまわりに応援、味方してもらえるように生きていかないといけない。他者から貰いっぱなしスタンスというのは、それだけで詰んでいる。
「借りた金を返さない」という生き方を一度するのはやはり危険なのだ。

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