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偉いと言われる人の共通項

「立派な人物」というのは一言で言うと、「毎日コンスタントにやるべきことをやれる人間」なのではないだろうか。

あまり例外がない。少なくとも僕の周りの「偉いひと」はそうである。だから彼らは自然とリスペクトを集める。

「偉い人間にロクなやつはいない」というねじれた認識を持つひとがいる(僕もそうだった)

その感想は大抵、世間を深く知らないせいで生まれる。おそらく本当に偉いひとを見たことがないからだ。

本当の「偉いひと」は威張らない。それどころか「偉さ」が他の関係ないひとには分からないほどだ。偉そうに見えないし、そもそも目立たない。

したがって「偉そうなひと」というのは、誰の真似をしているか分からない状況にある、と言える。

「偉そうな」という言葉があるが、やはり彼らは「偉いひとに似てる」とは全然違う。単に「態度がでかい」や「威張り散らかしている」というだけに過ぎない。

おそらくドラマ、映画などのフィクションで「変な偉いひと」が脚色されているからだ。偉いひとの実態を知らないひとが思い込んだ間違いなのだ。

似た話に「お金持ち」がある。

お金持ちも僕が知る範囲では、みんな上品で腰が低い。控えめで、イキっていない。

「お金持ち」というのは年収一千万円程度ではなく、もっと上の額面の戦いをしている人々だ。

「金持ちが人格者だー!」という話をしたいわけではないが、まぁ物腰が柔らかいのである。

バンドを解散してから会社を経営してきて、様々なお金持ちに会う機会に恵まれた。

彼らは驚くほどに「偉そう」ではない。逆説的に考えると、だから「偉い」のではないかと思うようになった。

偉いひとも、お金持ちも、毎日きっちり仕事をしている。

例外無く、朝早く、そして夜まで何かに没頭している。さらに謙虚に学習し続けている。

酒を飲んで騒いだり、二日酔いで起きれないというような毎日は送っていない。

理由は簡単で、彼らは「だから偉くなった」のだし、「そうでなければ人並み以上の成果を出せない」のである。

大金持ちの家に生まれるなどの『例外』もあるかもしれない。このパターンの知り合いもいなくもないが、深く関わってはいないので詳しくはわからない。

ただ、それなりの小遣いを親から貰うぐらいである。正直、「お金持ち」と呼べるような経済状況ではない。

イマは親自体の寿命も伸びているし、固定資産税も相続税も大きい。経済の成長期は終わり、企業も長く資産を保有できない。

二世や華族が社会に受け入れられる時代でもないのだ。

王族みたいな『例外』はどんどん絶滅し、生まれ格差みたいなものは消失していっている。

現代の「偉いひと」は自力でその立場を勝ち得たひとがほとんどなのだ。

彼らを見ると「凄いな」と素直に思う。

この「凄いな」が案外大切で、自身の向上の原動力になる。

米津玄師やあいみょんを見て、「凄いな」と素直に思えるのに、総理大臣を見て「凄いな」と思えないのは、途中に介在する第三者(マスコミ)の演出を通してしか「人柄」を見られないからである。

自分の目でそのひとを見れば、素晴らしさに気付くものである。それぐらい「肌感」というものは侮れない。

バンプオブチキンとバックヤードで話したことがあるが、少しのやりとりだったが、やはり「偉そう」ではなかったことをよく覚えている。

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