語彙が少ないと人生が破滅する
今更だが「言語化」は大事だと感じる。
文章でもおしゃべりでもいいのだけれど、「きっちり言語にする」をしておかないと、カタチにすらならずに終わっていく。
「言葉にできる」というのは「100%理解している」とも同義だ。逆に「うーん、なんて言えばいいんすかね……!」と言ってしまうものは理解の範疇を超えていると言える。
「そんな面倒なことを考えなくてもよくね!?」と言われそうだが、定期的に言語化を行っておかないと破滅する。人間性が歪むからだ。
たとえば「ヤバい」「キモい」「ウザい」「ムカつく」などの感情表現がある。ザックリと表現できてしまう便利なワードだが、依存すると危険だ。
なぜなら言葉には「情動性喚起」と言う感情を刺激する働きがあるからだ。
僕たちの心は想像の域をはるかに超えて言葉の影響を受けている。
特に「キモい」「ウザい」「ムカつく」などの強い感情表現を安易に使っていると、その言葉に引きずられ「キモい」と感じ、「ウザイ」と思い、「ムカつく」結果になってしまう。
たとえばAさん、Bさん、Cさんの三人で喋っているタイミングでAさんが自分の話をしている最中にBさんに遮られたとする。そしてCさんも乗っかってBさんとCさんが盛り上がってしまった。
A「うちの彼氏がさー。スロットばっか行ってんのー」
B「えー。ギャンブルとかありえない」
C「ウケる」
A「そんでー。デートもスロデートなの。ありえなくね?」
B「マジで!」
A「しかも通しで。オープンからクローズまで。ヤバくね?」
C「ウケる」
B「ていうかさ、この前うちの彼氏なんか知らない女と歩いててー」
A「あーそう」
B「そんで、問い詰めたのね」
C「え?なになに?その場で?」
B「その場で首根っこ捕まえてさ」
C「ふんふん」
A「いや、うちのスロ彼にもいいかげんにしろって言ったんだけどさ」
B「もうスロの話いいからwそんで、首掴んで『誰じゃこのメス!』って叫んだらー」
C「その場でやってんの?ヤバイねw」
B「ヤバイっしょ」
C「ウケるー!」
A「……」
このとき、Aさんは本当は「話を遮られて哀しい、寂しい、つらい」という感情だったのに、「BとCウザイ、ムカつく」という風に思ってしまったとする。こうなると、感情は哀から怒に書き換えられてしまう。
些細な事例だが、感情や人間性というのは語彙によって司られている側面が強いことが分かる。
ボキャブラリーの少ないひとは感情が動くたびに「キモい」「ウザい」「ムカつく」と反射的に発しやすくなる。この度にストレスを感じ、コルチゾールを分泌し、凶暴な内面性を練り上げている。
攻撃をしかける傾向が強くなるので、当然トラブルを生みやすくなるし、敵も増えていく。善いひとは周りから減っていき、逆に悪いひとは寄ってくる。そしてその悪いひとは、そのひとをもっと凶暴にしようとしてくる。
実際、僕の身の回りにいる(いた)破滅していった人々は語彙が少なかった。
いろんな言葉を知っていたり、例え話が華麗なひとたちは優しくて強いひとばかりだった。「口が上手い」と「話が上手い」は全然違うということだろう。
「これって正確に言語化できてるかなー」と言葉にほんのり気を使って生活することの破壊力を感じる今日この頃である。
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