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ユーチューバーになったら

『もしも叶うなら』について三記事目を書くことになろうとは。自分の中にこれほどまで欲望が渦巻いているとは知らなかった。こわいこわい。「どのお題を書こうかな」とnoteの募集中ページを見ていたのだが、『もしも叶うなら』がダントツで書きやすいのだ。業が深い。

さて、本題の『もしも叶うなら』だけど、ユーチューバーになってみたい。唐突である。

僕は基本的にテレビに出ているような有名人のYouTubeしか見ない。逆にいわゆるユーチューバーと呼ばれ始めたひとたち、「YouTubeというプラットフォームから有名になったタレント」の動画を一本も見たことがない。

名前ぐらいならば、ヒカキンさん、ラファエルさん、ヒカルさんみたいな名前は知っている。なぜなら有名だから。これは日本中に溢れかえっているだろう「鬼滅の刃は知っているが読んだことはない」という現象に相当する。

では何を見ているのかと言うと、芸人が喋っているようなものや元プロ野球選手が喋っているようなものしか見ない。唯一の登録チャンネルは清原和博さんの『清ちゃんスポーツ』だ。

こういった著名なひとがYouTubeを楽しそうにやっているのが好きなのだ。「YouTubeというプラットフォームから有名になったタレント」の動画も面白いのかもしれないが、テレビに出ている人物がテレビよりものびのび話しているのがやけに楽しそうに映る。

「いいなぁー」と指をくわえて見ているだけだし、それで十分楽しんでいるので、それはそれで良いのだが羨ましい。

少し前に知り合いに「YouTubeやったらええやん」と言われた。
僕は「やってはみたいんだけどね」という一番やらないやつ特有ののび太的姿勢を見せた。

「痩せたいとは思ってるんだけど」
「勉強しなきゃとは思ってるんだけど」
「起きたいとは思ってるんだけど」

これらの言葉を吐く人間は死ぬまでやらない。まさしく「もしも叶うなら」だ。

物事には「いや、叶えるというか予定っす。やります」というものと「もしも叶うなら」というものがある。前者はわりと叶っていく。

ロッキング・オンのコンテストで優勝したときも、クラファンで280万円集めたときも、メジャーデビューしたときも、CDを10000枚配ったときも、本を発売したときも、映画化が決まったときもわりと僕は「予定」として行動していた。「もしも叶うなら」というスタンスではなかった。

やはり「いや、叶えるというか予定っす。やります」的な姿勢の方が達成率が高いように思う。「もしも叶うなら」ということはどうにも運任せな気がする。そんな、「もしも叶うなら」だけど、本当にユーチューバーになったら何しようかな。

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