自殺未遂を防ごう(^_^)

「悲観的か楽天的か」と聞かれると、「楽天的です」と答える。

他人から見て、僕がどう見えているかは分からないが、自称「楽天的な人間」だ。
人生がどう転んでも受け止めるつもりだし、トラブルに大慌てしたことも、さしあたって思い当たらない。

いい意味で「どうなっても構わない」と思っている。

これは投げやりになっているわけではない。

「俺にはどんなシチュエーションになっても、悲劇的結末を迎えないぐらいの力がある」と信じているからだ。変な自信があるのだ。

まわりに猛者が集っているのもある。僕自身も捨てたものではないという心持ちもある。なんか運良くここまで生き残ってこれた引きの良さもある。

それゆえ、けっこう楽天的なのだろう。

しかし僕も人間なので、普通に落ち込みもする。

100%楽天的な男などいないように、結局人間性も日ごとに変形していくのである。

環境に合わせて成長もすれば、退化もするし、心が穏やかな日もあれば、短気な日もあるではないか。

画像1

「どんなひとも、どんな物事もいつかは自分から離れていく」としつこく歌ってきているし、書いてきているし、語ってきている。

しかし、僕がこれらを強く唱え続けるのは、恐怖があるからだ。失う痛みに怯える自分を抑えるため「仕方ないことなんだよ」と言い続けているに過ぎない。

悟っているわけでもなんでもない。

「みんな俺から離れていく」という現実に折り合いがつけられない夜もある。

物理的に離れる、死別、心が離れる。

当たり前だが、これらからは逃れられない。いつかは離れる。必ず失くなる。

でもこれらを「痛み」としてしまうかは別の問題だ。何故、離れることが「痛い」のか。

紐解けば、運動、食事、睡眠、アルコールなどの不摂生に原因があることがほとんどだ。

心の状態がイカレているから「痛く感じる」のだ。この痛みは治る。

心拍を上げれば治る。
肉食えば治る。
寝りゃ治る。
飲まなきゃ治る。

と言い換えられる。

僕たちは極めて痛みに弱い。

体調を疑い続けて生きていかないと、痛みに耐えきれず、あっという間に自殺してしまう。何度自殺未遂を図ったか数え切れない。

書いたり、読んだり、歌ったりして「この痛みは当たり前なのだ」と自らを奮い立たせるのは弱いからだ。

心に栄養を点滴しているに近い。そうしないと栄養失調で死ぬからだ。この武装を解いて、十日も過ごせば未練無く死ぬだろう。

人間の心は丈夫にできていない。ある程度の条件を揃えないと、ベストパフォーマンスの半分も出せない。それどころか死ぬ。

だから壊れていてはいけないのだ。

あなたが壊れると、あなたの近くの人間がほんのり悲しむ。

まわりを心配させる日々を送り続けていると、後々後悔する。

そのひととも永遠にはいられないのだから。



音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!