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試行回数に収束した


今年一年過ごしたが改めてこの題目を信じることになった。

僕も年末とか年越しに興奮しないぐらいは人生が続いているけれど「同じ一年」というのは無い。

もっと「いつもどおり」でもいい気もするが本当に毎年違うことをしている。

面白くもあるが不安定極まりないというデメリットもあるので、油断しないよう勝ち越していかないと滅びてしまう。

勝った負けた引き分けたを繰り返した一年なのだけど、改めて試行回数だけは担保しなきゃいけないと身に染みた。

試す回数さえ担保されている環境ならばけっこう何とかなる。チャレンジ数と成功回数は確実に比例している。

・生き絶えないだけの備蓄
・試行パターンを多様化するフィールド
・個人差を陳腐化するだけの人員
・試行方法を示すだけの仮説言語力

ぐらいはキープしとかないと挑戦量さえ目減りしてしまう。

試さないと、仕掛けないと、挑戦しないと怖いのは「コントロールできないこと」に見放されることだ。

【自責思考は⭕️他責思考は❌】という考え方があるが、この思考方法の本質とチャレンジ数は遠からず紐付いている。

自責思考というのは「何でもかんでも自分のせいにする」ということではなくて「コントロールできる領域に関しては自らで確率を上げようね」ということだ。

ここらへんを勘違いすると、自分を責める人が誕生してしまう。

簡単に言うと「税金を圧縮したいなら事業を始めればいいし、痩せたいなら痩せればいい」という話になる。

【コントロール不可】
税金を減らすこと
太りやすい美味いものが流通していること
【コントロール可能】
所得を圧縮し、支払う額面を減らすこと
太りやすい美味いものを遠ざけること

他責思考のひとは不可のものをどうにかしようとする、もしくは視点が向いている。
自責思考のひとは可能なものを見ている。

というふうに考えると分かりやすい。税金が高いことを「俺が悪いんだ…」と自分を責めることは自責ではなく、ただの危ないやつだ。

もちろん「事業を始めてはいけない」や「痩せられない」という定めはこの国には存在しない。始めれば絶対に始まるし、痩せようと思ったら絶対に痩せられる。

「じゃあやるわ。コントロールできるもん」で実行できるかどうかだ。

逆に言うと不運や事故、トラブルなんかはどうしようもない。起きる。税金は高いしマクドナルドは美味い。

だけど「起きたときにどう反応するか」はコントロールできる。

もう一つの大きな『コントロールできないこと』が「他人にどう思われるか」だ。

好きになれよ!というのは不可能だし相手の気持ちをいじることに頭をぶん回しても仕方ない。

だけど試行回数が保たれていると、ここが多少『コントロールできること』に入ってくる。

相手が自分、もしくは自分が好きになってもらいたいものに興味を持つキッカケはタイミングによる。

たとえば誰しもティッシュ配りのティッシュをもらったりもらわなかったりすると思う。

じつは「ティッシュをもらわないひと」なんてこの世にはいない。手に取るタイミングと取らないタイミングがあるだけだ。

確率が半々のひともあれば100回に1回のひともいるかもしれない。もらったことがないなら「まだもらっていないだけ」に過ぎない。未来は分からない。

ライブをして物販でCDを買ってもらえることがある。「ライブが超良かったんで!」と言ってもらえる瞬間だ。

でもこれはタイミングなのだ。
日が違えばステージを見たとしても結果が変わったりする。

買う側の気持ち、財力、時間、コンディション。演奏側のクオリティ、ライブハウスの音や光、すべての環境。駅までの道のり、天候。

あらゆるコントロール不可要素が不確定に絡まって、物販が売れたり売れなかったりが決まる。

だからこそ試行回数が必要になる。
成功確率を上げていくことは当然として、ライブ本数が少なすぎるとやはりうまくいかない。

「試行回数が少ないとコントロールできないことに見放されてしまう」というのはこういう理屈だと思う。

今年もたくさんのコントロールできないことに苦しめられた。

生存できたのは試行回数の担保だけは保ち続けたからかなぁと。

来年もどうぞよろしく。

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