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僕らは役に立たないと尊厳が保てない

【バンドが解散したり辞めていく理由は金だけでもない。じゃあ何だという話】

4月1日。「新入社員のひとがデビューする日」だ。頑張って👍

僕はずーっとバンドをしているので他人からは「貴様に4月の節目なんて関係ないだろうが。俺たちは正社員だから関係あるんだぞ」と言われることがある。ごめん、関係ないけど勝手に関係している。

と言うのも僕にとって4月1日というのは上京した日だ。

1日に入居するのが一番家賃的におトクだったので、ギリギリまで大阪で待機していた。そのせいで勝手に「4月1日は俺が社会に出た日」として記念日にしている。無職で出たけど。

そのせいか毎年のように「あの日からどう変わったのか。何ができたのか」と振り返っている。

しばらくは何も成功に手が届いていないと落ち込むことも多かったし「俺は社会のレールからはぐれてしまった者なのだ」という感じがしていた。

同級生たちは社会人○年目という称号を手にしているわけだが、新年度4月1日になるたび、また一つ積み重なっていく。対して自分は何も積み上げずにただ時間を消費しているんじゃないかと怖くなる。

春になるとうららかな気候になるので、これもまた一層拍車をかけることになる。あたたかさの中で絶望を抱いているかんじがするのだ。「今年こそは……!」と抽象的にやる気を出してしまう。

なんだかそういう感覚が失せてきて数年経った。

むしろ新入社員になるであろう人々が大変だなぁとも感じるし、心配などもしてしまう。関係ないのに。

どういうひとが心配かと言われると、「企業という枠組みの中で中で活かされやすい」は問題ないのだが一定数存在する「組織であんまり役に立たない輩」だ。

かわいそうだけれど、こういうのは10人いたら2人ぐらいは存在する。大勢に混ざるとパフォーマンスが発揮できない変なやつだ。

僕もわりと近いので親近感がわくのかもしれない。マクドナルドやスーパーでは1ミリも役に立てなかった。

しかし今や企業サイドになってしまった。
「組織で役に立たない人間」というのはいつの時代も一定数いるので、自分のような存在を切るという非情なことを僕は繰り返している。

これは「利益にならないから、邪魔だから、不要だから、福祉じゃないから」という鬼のような理由もあるのだけれど、そもそも役立たずの僕のような人間を放置しておくのも優しくはないと思うのだ。

「彼のためを思って!苦渋の決断をシタノデス!」といった涙ちょちょぎれる話ではない。
人間というのは一定の「貢献感」がないと人格、尊厳を保つことができないからだ。役に立たないと自分を愛せない。

マクドの厨房に立っているときはとてもつらかった。
「役に立てない自分」だったので尊厳が保てなかった。人間扱いされている気もしないので、どんどん卑屈になっていく。言われてもない悪口が幻聴として聞こえてくるのだ。

これはバンドマンが引退したり、解散するときの根本的問題と似ている。

僕も「二度とロックバンドなんかやらん」と思っていた。

ゆうメンタルクリニックの先生に「もっかいやれ!」と言われたことがきっかけでもう一度juJoeを始めたけれど、一度おもいっきり心が離れた経験がある。

なぜ解散するのか。なぜ辞めるのか。なぜ好きだった音楽を嫌いになるのか。

この根本には「役に立たないつらさ」と「役に立っていないことで尊厳が保てない」というものがある。

社会に認められていない。自分が求めている基準までの人気がつかない。そのせいで周囲に迷惑がかかる。

役に立っていないと、人間は自分を保てなくなる。自己肯定感の原料は貢献の手ごたえだ。

どれだけ些細でも「役に立つ」ということが自分自身を生かすことになる。

長い人生、プライドうんぬんやワガママの前に「どう立ち回ると役に立つか」を考える時期があってもいいんじゃないかと思う。媚びるとかじゃなくて自分を生かすためだ。

僕自身、ここんとこどうしたら役立つかなぁと考えている。役立つものが日々書けておりますでしょうか。

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