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初めてのライブハウスは入りづらいからこそ

「初めてのライブハウス」は2002年か2003年だったと思う。神戸STAR CLUB。

SHACHIのツアーだったと思うし
10-FEETがいたと思うし
PANがいたようにも思う。

とにかくいろいろと「思う」が多い。それぐらい正確に記憶していない。

当時、太陽と虎というライブハウスはないし、GOING KOBEもまだない。

故・松原さんは24歳ぐらいだったので、たぶんマージービート(まだ旧名のパインフィールズだったかも)で正社員をやっていたし、風次さんはたぶんベルトコンベアーに何かを乗せていた。

サクラメリーメンは高校生だったし、ガガガSPが長田公園に一万人を収集する無双ぶりを見せていた。

最近はライブハウスも綺麗になってきたし、分煙も進んでいる。当時の「いかにも」なアングラ感は減ることはあっても増えることはもうない。

下記が神戸STAR CLUBだ。何も知らなければ謎の建物としか形容ができない。

入りづらい。基本的に非合法の匂いしかしなかった。しかし中学生の僕にとってはこの「敷居の高さ」みたいなものが重要だった。

中学生としての「偉さ」というのは部活や勉強、生徒会での地位などだった気がする。他には不良グループ内での喧嘩の強さ、悪事の罪状の重たさなどで決まってくる。

これらを持ち合わせていなかった僕は「俺はそこいらの連中とは違う」という方向性に賭けるしかなかった。

要因はあしたのジョーにあったのかもしれない。

このセリフを曲解し、「異端者」であることを目指し続けた。後ろ暗さと努力の少なさで手に入る成果に魅了されていた。

今思えばアホ丸出しなのだが、とにかく青少年というのはそういうものだし、そうでなければならない。

だから僕にとってはライブハウスは「怖くて入りづらい場所」でないといけなかった。
楽屋などはこの始末だ。怖すぎる。しかし怖ければ怖いほど良い。

「同級生の一般人パンピー共はこんなところに来れまい。どうだ、この音のデカさは。これほど歌詞が聴き取れない環境で音楽を聴いてるんだぞ」と心の中で吠えていた。

そんな組み伏せられている相手からしたら気付きもしない、服にくっ付く羽虫のようなマウントポジションで僕は価値なき優位性に青春を消費していた。

人生には「とっつきづらいこと」が必要なタイミングがある。

もちろんカシスオレンジやカルピスサワーだけを楽しむことが悪いのではない。「とっつきやすさ」は狭き門を広くしてくれる。

しかし年上から隠れ家的なバーに連れていかれて「こんなとこに来て、そんなもん飲むな!」と言われるぐらいのアルコールハラスメントがコクになる夜だってあるんじゃないだろうか。

飲みやすい酒、聴きやすい歌、読みやすい本だとつかない格好があるのだ。

ほろよいでジャニーズ聴いてONE PIECEだと、自分が自分じゃなくなりそうで、何か大きな『世間』みたいなものの渦に巻かれ、淘汰され、『俺自身』が薄まっていきそうで怖かったのだ。

それはニーチェやトルストイを手に取り、40度のバーボンを咳き込みながら飲みつつ、スコットランドのインディーズバンドを聴くことで保てる自我だ。

「みんなが好きなものはみんなが好き。それを好きになると俺もみんなと同じ。代用きくから存在価値無し」という論法の果てを目指していた。

一円にもならないし、苦しくて仕方ない。格好いいかと言われたらピシャリとダサい。

でもあのダサさが自分を今の今まで続けさせてくれている。
健全かつ美しくなっていくライブハウスの中でちゃんと続いている。
このヘルシーさを喜ばしく思っている僕自身も、少しはヘルシーになったのだろうか。

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