行為それ自体が目的となるような行為こそが幸福やで
依頼をいただけることが増えた。
ものを作ったり、話を考えたり、歌を書いたり、あちらこちらで演奏してくれだったり。
他者から頼まれるというのは嬉しいもので、僕の中の「どうやったらウケるか」という視点が消費者だけでなく、依頼者にも向くので、「共同!」というかんじがする。
これは考え方次第だけど、明るいことが多い。距離の近い相手にウケるというのはやはり一番最初の熱だと思う。
バンドで歌を作ってもまず自分が良いと思わなきゃいけないし、次にはメンバーが良いと思うのがベストだし、次は担当だったり……と、あくまで理想ではあるが、目の前のひとの感動が世間に広がるのが一番気持ちいい。
その点、「依頼されている」という時点でもうシードがかかっている。僕に依頼してくれている以上、クライアントはすでにウケる準備が心にできているのだ。
こんなワクワクする感覚が手軽に手に入ってしまう。悪いことではないがお手軽だ。
芸事に関しては誰しも、もともとは依頼されずに始まっていく。
誰に頼まれたわけでもなく、絵を描き始めたりギターを弾き始めたりする。親が芸術家とかでもない限り、まぁ自分がやりたいから勝手にやりはじめるんじゃなかろうか、
【勝手にやってる仕事】と【頼まれる仕事】があるが、依頼された仕事の方が簡単だったりする。前者は見返りも遠い無人の荒野を行く行為だ。
仕上げなくてはいけないし、納品すれば対価もあるし、クライアントにそれなりに喜ばれることも確実視されている。ない
反対に「自分が好きで勝手にやっていること」というものをキッチリ進めて、バッチリ整えられるのは難しい。
このnoteの記事ひとつとってもそうだけど、これは誰かに頼まれて書いているわけではない。
書いたところで金銭が発生することもなく、仕上げなくても誰にも文句も言われないし、別に喜ばれるようなこともない(読んではもらえることはアクセス上分かるけど)
【勝手にやってる仕事】は労力やコストをかけたところでハッキリした利益がもたらされないことも普通だし、【頼まれる仕事】に比べると孤独そのものだ。
だけど古代ギリシアの哲学者アリストテレスが『行為それ自体が目的となるような行為こそが幸福やで』とも言っている。
「将来困るから働く」のではなく、「働きたいから働く」のが幸福であり、「金になるから歌うのではなく、歌いたいから歌う」のが幸福だという話なのだろう。
たまに忘れそうになるから古代ギリシアにタイムスリップしないといけない。食べるために生きているのではなく、生きていくために食べるのだ。
やってること、それそのものが目的になることはそんなに多くない。だからこそ今あるものぐらいは大事にしていきたい。
本が発売されたり、映画が作られたり、新譜が出せたりということがある一年だった。もちろん対価も発生する。
だけどすべて「本になるから」とか「映画になるから」とか「新譜が出せるから」とか「金になるから」という理由で作っていたわけでもない。
全部が全部、大元を辿れば書きたいからでしかなかった。来年もなるべく小賢しくなく、胸の中に熱いものを秘めて生きていたいと思う。ただでさえ寒いのだから。
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