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味方を増やしていく方法

「がんばります!」

これは一体なんなのか。

いや、言ってきたし言われてもきた。ていうか多くのひとが物心ついた頃から今日こんにちまで使用しているワードの一つだろう。

しかしこの言葉はどういう意図が込められているのだろう。
『がんばりますユーザー』である僕自身も用途目的がよく分からない。なぜ今から行うことのモチベーションが高いことを伝達するのか。だから何なのか。

考えすぎると「がんばる…は、はぁ…好きにしたらいいんじゃないっすかね?」という気がしてこないでもない(もちろん実際は思わないのだが)

会社をやるようになってから言われることが増えた。別に「がんばります」という文言ではなくとも、近い意味合いの言葉を受ける回数は明らかに増した。

思ったのだが「がんばります宣言」の目的はいわゆる『応援の収集』にあるのではないだろうか。

振り返ると幼少の頃よりも大人になってからのほうがよく使ってきた。なぜなら社会では「無条件に味方してくれること」なんて皆無だからだ。子どもの頃はがんばろうががんばるまいが、そもそも世の中全体がふんわり味方なのだ。

小学5年生のとき、隣りのクラスが学級崩壊したことがある。授業中なのにテストの裏に夢を書いた紙ヒコーキが飛び交い、くもり空を割っていた。
担任の藤本おばさん先生が「ヤメナサーイ!」と金切り声をあげるも30人以上のクソガキが暴れ回るので収拾がつかない。アリも大軍になれば脅威となる。
隣接していたので、非常にやかましかった。

当然、放置されっぱなしというわけにはいかないので学年主任が動くことになった。この男ははちょうど中田翔から野球の才能を奪いとったみたいな風貌をしており、気性の荒さと残忍性を合わせ持つ神戸の教育史に名を残す猛者だった。

放課後、6年生までの全学年が多目的ホールに集められた。少子化前で全学年が集まると1000人近くになる。この大観衆の前で学級崩壊クラスの生徒全員にヤキを入れると言うのだ。

まず翔さんは問題を起こしたアリどもを30人ずらっと整列させ、後ろ手を組ませた。後はシンプルに無抵抗な子どもたちをボコボコに殴りまくる。
僕は体育座りの膝を強く抱きながら「アリはやはり恐竜には勝てないんだ……!」とフリーザの言葉を思い出していた。

並べられた子どもたちがゴミみたいに中田翔に引き裂かれていく。
藤本おばさん先生は調子こいていたアリがやられていく様を見て、痛快そうだった。でも女子の腹を何発も蹴りまくる反社っぷりには流石にちょっと引いていた。

学級崩壊の主犯格にへの翔さんのヤキはより激しくなった。
「何でお前らはこんなことしたんや!」と髪の毛を引っ張りながら刑事の取り調べのように顔を近づけた。

主犯格たちはガタガタしながら「藤本先生がひいきばっかするから……」と蚊の鳴くような声で弁解した。もちろんノータイムで顔面を何発も殴られた。もう藤本おばさん先生は残虐ファイトすぎて目を背けていた。

半殺しにしたアリの胸ぐらを掴みながら翔さんは、体育座りした僕たちをじっと見回した。そして「お前らも同じことしたらどうなるか分かってるやろな……」と言った。大きくもない声がしんとしたホールに響いた。戦慄が僕たちの全身を駆け抜け、何人かは恐怖で失禁していた。

まぁ平成の暗黒教育史はどうでもいいのだが、言いたかったのは子どもには「えこひいきされたから傷付けてもよい」的な思考回路があるということだ。

アリたちは「えこひいきする藤本おばさんはいじめてやれ」という理屈だし「自分は守られていて当然、可愛がられる権利がある」と思っていた。

当たり前だが、成人した後もこの「俺は世の中から守られるべき」という前提で生活するとまわりから総スカンを食う。たまにこの前提で生きているおっさんがいるけど、総スカンにしてやってほしい。世間はおまえらの母親ではない。

つまり「味方はされない。応援もされない。まわりは敵でもないが仲間じゃない」が基本体制となる。これはしっかり叩き込んでおかないと超キモいおっさんになるので、下記の歌を月に一回は聴き直しておくといい。

ここは天国じゃないんだ 
かと言って地獄でもない 
いい奴ばかりじゃないけど
悪い奴ばかりでもない

The BLUE HEARTS【TRAIN-TRAIN 】

マーシーが書いてくれた通りであり、僕たちは見えない自由がほしくて見えない銃を撃ちまくるしかない。この見えない銃の一つが「がんばります」なのだ。

味方や仲間になってもらうためには相応のリターンが必要になる。

僕もこれまでいろんなひとに助けてもらって生きてこられた。だけどいつだって「無条件に助けてもらった」ことなどなかった。トータルで恩を頂いた量のほうが多かったことはあるが、「相手への見返りがゼロ」なんてケースは皆無だと思う。

この「見返り」というのは何も物質的なものだけの話ではない。人生、手の中に何もない時期はある。そのとき、返せるのは「こいつの味方をして悪い気はしないな」という気持ちの良さぐらいだ。でもこれが大切なのだ。

人間は文句ばかり言っている奴よりも、がんばっている奴を助けたいと思うものだ。しかし面白いのが「文句を言っている奴もひとの助けを欲している」という現実だ。だが手に入らない。

その文句、不平不満が事実かどうかなどは関係ない。大体の文句垂れは事実であることかどうかを重要視しているが、本当に関係ない。

「がんばります」と全身から発する目的は助けてくれるひとを集めるための最低限の礼節なのだ。

「妙に助けてもらえてないな俺」と思うなら文句が多いか、「がんばります」が少ない。逆にこれを満たしていけばきっと味方は増えていくのだ。

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