裏切りカウント

生来、「裏切られた」と思ったことが少ない。ゼロではないが少ない。

「他人が思い通りに動かない」と受け入れられているのは、自分の数少ない長所だと思っている。

そもそも「裏切り」というものは何なのだろう。「裏切り」が成立しているケースは稀だ。

「自分が相手に十分な利益を与えられていなかったから」という理由で、不成立になった約束を「裏切られた」とカウントしているのがほとんどではないだろうか。

自分が相手に与える利益のバランスが崩れると、瓦解が生まれる。

漢たちがよく「一生一緒な!」という契りを交わすが、実際に一生一緒にいるのを見たことはない。

一緒にいて、お互い意味があるならば、裏切りなんて起きない。
というより裏切ると損になる。人間は利益で動く。得があるから、一緒に居続ける。損があるから離れるのだ。

十分な見返り、メリットを与えられている状況やパワーバランスが続いているならば、関係は続く。この「見返り」や「メリット」はお金とかだけではない。
「一緒にいて楽しい」とか「自己肯定感が増す」とか「安らぐ」とか「ライブができる」とかも見返りだし、メリットだ。

反対に「搾取のみ!」みたいな人間関係が続くはずがないのだ。

けっこうある。バイトが飛ぶのは、飛ぶだけの理由を経営側が作っているのだ。相手が愛想をつかしただけの話だ。

ほとんどの「裏切られた!」と感じたケースに言えるが、原因は自分にある。というより、そう思っておいた方がいい。その方が地力が身に付く。他人に依存しているとクセになる。そして自分が雑魚になる。

他人を助けてやるぜ!ぐらいの気持ちをデフォルトに設定しておいた方がバランスがいい。

「裏切り」の話をすると、善人とか悪人とかいう話があるが、そんな白黒に分けられるものではない。ていうか世の中には利害が一致するひとと、相反するひとの二種類しかいない。

自らにとって、利害が一致するから「良い人」なだけだ。相反するから「悪い人」なだけなのだ。

これは人間不信になれとか、信じるな、とか疑い続けろ、とかそういう話ではない。

「利害の一致する人物or利害の相反する人物」という軸で他人を見ると、人間関係の画素数が上がるという話だ。

「俺にとって、得か損か。相手にとって得か損か」というマクロな視点で観るのだ(しつこいが損得はお金のことだけではない)。関係値がクッキリ見えると、感情に振り回されにくくなる。相手の事情、相手の立場に立って考えられるようになる。

そして何よりも、「裏切られた」というのを気にしないことだ。

バイトが飛ぶたびに沈んでいては店も成り立たないだろう。

恋人が他の誰かを愛したところで、いちいち立ち止まっていられない。立ち止まる必要もヒマもない。僕もあなたももう残り、数十年で死んでしまうのだから。早くしないと。


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