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名前を出して音楽をやっていると、自分の生存状況を知らせることができる

少し前に同級生がライブを観にきた。十年以上会っていない人間である。

これまでもQOOLANDのCDを買ったりjuJoeがテレビに出たときも見たりと、密かに応援してくれていたらしい。『さよなら、バンドアパート』も買ってくれたとのことだった。

だけど「ライブに行ってみるか」と行動に移したのは最近になる。つまり僕が二十代で音楽をやめていたら、再会できなかったことになる。

「出会うべきタイミングでひとは出会わないといけない」というのは座右の銘の一つだが、「再会するタイミングでひとは再会しないといけない」も加えたくなった。

僕も僕で、今だからこそ再会を喜べたように感じた。人生の超陰鬱いんうつな時期に会っていたらあまり明るく話せないのは誰しもそうだろう。「終わっている自分」を同窓に晒したくない。

友だちにその話を伝えると「物事を超自然的なことに紐付ひもづけたくはないけど、運命とかタイミングとかはあるのかもな」と言っていた。

聞くとQOOLANDが解散したときに「平井といつ会えるか分からなくなる」と思ったそうだ。
解散するときに「嗚呼、もっと見とけばよかった!」という言葉をたくさんweb上で見かけたが、あれらの何倍も響いた。

僕は過去の人間関係を焼却してしまう性質があるので、基本的に昔の知り合いと仲良くすることができない。連絡の取れる小中高の友人が一人もいない。

理由は「あの頃の自分」が呼び覚まされそうで、いたたまれなくて嫌だったり、弱い自分を見せたくなかったり、嫌われと阻害を誇りにしていたすべての環境に憎しみをぶつけていたりと無数にある。

でも音楽をやる人間なんて、大なり小なり苛立いらだちが行き場をなくしている。その節操の無さと、器の小ささがきっと昔を遠ざけるのだ。

友だちはいろんなやつらと仲良くできる、というか「ちゃんと広く浅くやれるやつ」だった。平たく言ってしまえば「いいやつ」だ。

高校時代、暗い僕にとっては貴重な存在だった。

僕は「クラス全員つまらん」と自分のつまらなさのせいで、そうなっていることにも気付かないアホなクソガキだったので、どんどん孤立していった。

あの頃の自分にとって、とても大切な友だちだったし、振り返れば「仲良くしてもらっていた」という言葉がじつに当てはまる関係だった。

世襲制の会社の御曹司だったのだが、鼻にもかけないいい男だった。というより、むしろその宿命に苦しんでいた。
じつは歌も上手く、僕よりも音楽的才能があったと思う。 ギターも弾けたので、一緒にセッションしたり曲を録ったりしていた。受験勉強の最中にギターを持って出かけていたせいで、母親によく怒られていたらしい。

「俺も家の事情が無かったら、音楽をやっていたかもな」

「いや、絶対やらん方がいい」

「でもそれがあったから、今生きれてるんやろ」

短い時間ではあったがしこたま話した。

過去に用は無いが、過去の自分がちゃんと成仏したのかを確かめる作業は、今の自分をじんわりと労わる。

あの頃に触れたのは、ここ数年なかった。

かつてのクラスの女の子たちはどうなったのか、立派なことを言っていた先生は逮捕されたが、どうなったのか、あの不良ははマトモになって、あの優等生は詐欺でパクられた。

知らなかった話が一気になだれ込んできた。
聞きたかったことも聞きたくなかったことも、想像すらしたくなかったこともいっぱいある。

でも時間は経ったし、大抵のことが元に戻せなくなったのだ。

名前を出して音楽をやっていると、自分の生存状況を知らせることができる。「ここにいるぞ。まだいるぞ」と狼煙のろしを上げることができる。

「それだけでもやっていてよかった」なんて話ではないが、音楽はやはりやっておく方がいい。

ミュージシャンとして生きてきた時間がある人間ならば、やめてしまわない方がきっといい。思いがけない夜が、未だに降り注ぐからだ。

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