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「日々死にたい状態」の人へ

早いもので僕もバンドjuJoeジュージョーをやり始めて5年ほど経つ。

始めた当初はアルコール依存のバッドトリップと
うつ病でとても苦しかった。3日に2日は死にたくなるという精神状態だったので、かごなどに閉じ込めておいたほうが良かったのではないだろうか。

この症状は5年の年月の中でゆるやかに変わってきて、なりをひそめている。なんなら「生きたいよう!」と願う日々が続いている。僕は昨日も生きたいと思っていたし、今日もまぁ思えている。

この「生きたい」という気持ちは存外珍しい。なぜなら多くのひとは、生きるとか死ぬとか考えずに毎日がんばっているからだ。そんな面倒くさいことはほとんどの現代人の思考の外にある。

だけど生物としてのデフォルトは「生存したいでござる」ではなかろうか。

たとえば病にかかると身に染みる。
38度程度の風邪でもけっこう「うわー死にそう」などと思ったりするだろう。すると「うわー生存したいでござる」といった心持ちになってくる。

でも健康になったとしても、それは死ぬのが少し先へ延びただけのこと。みんないつかは死ぬのである。

「いつか死ぬ」というみんなの共通話題であるわりに、このコンテンツはあまり語られないし考えることも少ない。ていうかこの「いつかは死亡」という話題自体、好かれていない。不謹慎という受け取られ方すらある。

でも死ぬことは生きることの前提にあるし、何をしていようが、若かろうが、若くなかろうが僕たちは「いつかは死ぬ」のだ。だからこそ『死ぬこと』については思考しておくべきだ。

「そんなのムダだぜ!考えるだけ無意味!」というひともいるが、それならば生きること自体もムダだし、無意味になってしまうんじゃないだろうか。

僕は10代の頃、「どのように死ぬかぐらい選びたい」と真剣に考えていたが、これを計画通りに実現するには自決するしか手立てはない。

自殺における善悪はおいておき、今の僕が思うのは「どのような死に方をするにせよ、死の可能性を日常から完全に取り除かないようにしたい」ということだ。「覚悟をしておくこと」とも言い換えられるかもしれない。

ここnoteを読んでいるひとの中にも、かつての僕のように「日々死にたい状態」のひとがいると思う。

自殺志願者の方々に言えることは多くはないし、「死ぬな!たいせつな命だ!」なんて学校のようなセリフも吐くつもりもない。死を望む気持ちが間違っているとも思わない。死にたいときなんてある。

ただ、「どうせ死ぬんだから、もう少しあとにしてはどうすか?」というだけだ。

「その願いは必ず叶うのだから、少しだけ後ろ倒しにすると、今よりナイスな死に様がデザインできるかもしれないっすよ!」とも付け加えたい。

BUMP OF CHIKENの歌に『君の願いはちゃんと叶うよ。楽しみにしておくといい』というフレーズがあったけれど、必ず叶う祈りというのは人間いくつもある。宿命とも言えるし、そのすべてが素晴らしいわけではないのだけれど。

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