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内在する絶対無:『現代思想入門』実践#2

千葉雅也さんの『現代思想入門』の第六章 現代思想のつくり方の実践
として前回の記事で要約したドゥルーズの『内在ーひとつの生……』を題材にして、主に西田幾多郎の思想から絶対無に関する要素を取り込んで考えを発展させられたらいいなと思う。


現代思想のつくり方4つの原則

『現代思想入門』で紹介されている現代思想をつくる4つの原則とは次のようなものだ。
①:他者性の原則
先行する理論で取りこぼされたり、見過ごされている他者性を発見する。
②:超越論性の原則
他者性を排除しないようなより根本的な超越論的レベルの前提を提示する。
③:極端化の原則
排除されていた他者性が極端化した状態として新たな超越論的レベルを設定する。
④:反常識の原則
結果として反常識的なものが超越論的な前提として出てくる。

この4つの原則のフォーマットに従って論理を展開していこうと思う。


絶対無の導入(他者性の原則)

ドゥルーズは『内在ーひとつの生……』の中で内在平面(ひとつの生)について考えている。それは超越論的な発生の場であり、潜在的なものを含みそれらを現働化する働きを持つ。
しかし、ここでは内在平面という形あるものからの発生が想定されているだけで、形なきものからの発生が無視されてはいないだろうか。
私はここで西田幾多郎の場所の思想絶対無に注目し、それをドゥルーズの内在平面(ひとつの生)に導入することを試みたいと思う。
西田における場所とは、経験や自覚や意志の働きがそこに於いて生ずるものであり、一切の作用や存在を自己の内において成立させ、またそれらを自己自身の内に映してみるもののことである。そして場所は大きく三層に分けて考えられている。それは「有の場所」(物理的世界)と「意識の野」(相対無の場所)と「絶対無の場所」の三つである。
私はここで西田のいう意識の野(相対無の場所)がドゥルーズのいう内在平面に相当するのではないかと考える。元々西田のいう場所とは主客未分の純粋経験の思想からそれがそこに於いて生じる場を考えたものであり、主体と客体からなる世界すべてに対立させて成立している超越論的場の考え方と同様のものである。また、超越論的場は意識によって定義されないとされているが、意識と外延を等しくし、意識の流れがそこを横切っている非人称的場として考えられるため、意識とその対象が関係する対立的無の場所としての意識の野と同様のものと考えられるのではないか。

図1:ドゥルーズの内在平面と西田の意識の野

そして西田のいう絶対無とは、このような意識の野が無限に拡大していったその極限に自らは無にして、しかも一切のものを自己自身の影として自己の内に映す、有無の対立を超越した絶対的な意味での無の場所のことで
あった。私はこの絶対無を形なきものからの発生としてドゥルーズの内在平面への導入を試みたいのである。


球(卵)モデルの導入(超越論性の原則)

さて、内在平面において絶対無を導入することをこれから試みるが、それにはまだ解決しなければならない課題がある。
1つはこれらの平面・場を2次元的な平面のモデルで考えてしまうことである。これらの平面・場は非人称的なものでありながら平面的に表すことに
よって、その淵ができてしまう。すなわち非人称的でありながら淵を持つ
対象的なものとして表現されてしまうということだ。
もう1つの課題は、絶対無の表現の仕方である。絶対無は意識の野の極限としてこれを包む場所として表現されるが、実際には表現し得ないからこそ絶対無なのであり、また、包むという言葉が外延的なイメージを与えるが、絶対無はむしろ根源的な場所として、内包的で内在的超越の方向の極限として考えられるものであり、外に広がっていく円環による表現はこのイメージに即さない。
私はこの2つの課題を解決するために次のような球(卵)のモデルを考えた。

図2:球(卵)モデル

このように内在平面を球の球面、絶対無を球の内部として考えることによって、平面モデルの対象化の問題と絶対無の内在的超越の表現の問題が解決されるのではないだろうか。


絶対無によって躍動する卵(極端化の原則)

このような球(卵)のモデルにおいて現働化のプロセスはどのように考えられるだろうか。
ドゥルーズの内在平面においては潜在的なもの(潜在性・特異性・出来事)がその平面において現実性を与られ現働化のプロセスに入り、主体や客体といった超越するものになっていくのであった。
私はこの新しいモデルでは絶対無がその潜在的なものの役割を積極的に担い現働化のプロセスを行うと考える。それは地球の中を流れるマントルのように、脈動する卵のように、何か力強いものを持っているように思う。
絶対無を流れる潜在性が内在平面において出来事として現働化していく。
それはまるで洋島の発生のようにこの球の表面に出来事が現れるのである。
そしてここで発生の契機について少し考えてみたい。『内在ーひとつの生……』の中では発生プロセス自体は語られた一方でその契機については、あまり言及されていない。私はここで偶然性について考えてみたいので
ある。それはかつて九鬼周造が『偶然性の問題』で扱った形而上学的な偶然性についてである。九鬼が最終的に考えた偶然性とは虚無であると同時に
実在であるものとして、不可能性が可能性に接する接点として、無から有への転換点として描かれたのであった。
私はこの偶然性を絶対無と内在平面の接点であり発生の契機として考えたい。形なき無からの生成として、この偶然性を契機として考えてみたい。
ドゥルーズの例えに倣えば、蜜蜂と蘭の有の場所における二元の邂逅が同時に絶対無と内在平面の接点における偶然性の発生の契機となり、出来事としてのイメージを生成するのである。

図3:球(卵)モデルにおける現働化

このようにして考えると内在平面の在り方も変わってくるように思う。つまり始めからそこにあるものとしてではなく、形なき絶対無とその他の境界として、無と存在の地平線としての内在平面が現れてくるように思う。


内在する絶対無(反常識の原則)

以上、ドゥルーズの内在平面に西田の絶対無を導入することによって、形なき無からの生成を球(卵)モデルを通して考えてきた。この考察から見えてくるのは、内在平面という形あるものが最初からある姿ではなく、形なき
絶対無によってその裏側から支えられながら存在と無の境界として浮かび上がってくる姿であった。
そして、この地球、もしくは息づく卵のようなモデルからみえてくるのは、
内在平面=ひとつの生という図式ではなく、(内在平面・絶対無)=ひとつの生というような生に内在する絶対無の姿ではないだろうか。
宇宙の始まりがそうであったように、ひとつの生の内には必ず無が存在するのである。


参考文献

現代思想入門 (講談社現代新書) | 千葉 雅也 |本 | 通販 | Amazon

ドゥルーズ・コレクション 1: 哲学 (河出文庫) | ジル ドゥルーズ, 邦一, 宇野, Deleuze,Gilles |本 | 通販 (amazon.co.jp)

西田幾多郎の思想 (講談社学術文庫) | 小坂 国継 |本 | 通販 | Amazon

西田幾多郎の生命哲学 (講談社学術文庫) | 檜垣立哉 | 哲学・思想 | Kindleストア | Amazon

偶然性の問題 (岩波文庫) | 九鬼 周造 |本 | 通販 - Amazon.co.jp

Newton別冊『無とは何か』 (ニュートン別冊) | |本 | 通販 (amazon.co.jp)


今回のヘッダ画像はrupikorupikoさんのものを使わせていただきました。
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