見出し画像

母校の吹奏楽部定期演奏会にゲスト出演

2022年5月1日、世間はゴールデンウィークの真っ只中。僕は母校の静岡学園中学校•高等学校の吹奏楽部の第20回定期演奏会へ出演するため静岡市民文化会館へと向かった。
僕はこの部活でサックスと出会った。そしてジャズに集中するために中学3年間で部活を辞めて吹奏楽から遠ざかっていた。高揚感と不安を胸に会場に到着した。

今回は熱帯ジャズ楽団さんアレンジの「September」、僕の即興でのどソロ、僕のオリジナル「with you」の三曲を演奏。
オリジナルは今回の為にアレンジを書き下ろした。

リハーサル

時は遡って約一ヶ月前、リハーサルのため母校を訪れた。卒業と同時にキャンパスが移動してしまったため、場所や建物へのノスタルジーは全く感じられない。しかしながら、先生方であったり校風であったり其処彼処に懐かしさが残っていた。

画像1
吹奏楽部顧問 小澤篤先生(右)と。現役の頃からお世話になった方。

吹奏楽部には特有の統率感がある。文化部でありながら少し体育会的な空気がある。当時から僕はそれが得意とは言えなかった。
合奏会場に到着すると一斉によく揃った挨拶。僕が感じる音楽の本質について、いかに伝えようか、そんな事を考えていた。
僕のオリジナルは、恐らく部員が普段演奏する機会があまりないキーで書いたものだった。♯がたくさんついた譜面から自信のない音が紡ぎ出されていた。
♯や♭が多いと集合体恐怖症の人は演奏できないのかもしれないと、かなりくだらない事も考えたものだが、、、
余談はさておき、ひとまず通して演奏する事にした。ここでは言葉ではなくとにかく耳で感じてもらう事を優先した。あちこち♯が落ち刺激的なハーモニーが爆誕しながらもなんとか最後まで通った。
さてもう一度頭から。すると何もアドバイスしていないのにも関わらず、圧倒的に音楽が生き生きしだした。彼らは僕と一通り演奏したところでその曲のもつストーリーを感じ取ってくれそれをアウトプットしたのだった。そのお陰で僕自身が音楽の本質を感じ本番が楽しみになった。

当日ランスルー

そうして迎えた当日、通しのリハーサル「ランスルー」が始まった。一部はクラシックを中心のステージ、2部はゲストである僕以外にも近年のOB/OGも参加してのポップスステージという構成。一部の曲は難易度が高いように聞こえる曲も、各パートが生き生きと演奏している印象だった。しかし、ここで感じたのは同じパートでも曲によって出来というか出てくる音が違うという事だった。
そして僕の出番のリハーサル。一ヶ月のリハーサルではこのままいけば当日には完成度は問題ないと思っていた。ところが思っていた完成度とはいかず、音楽監督で顧問の小澤篤先生から助言を求められた。

「今日来るお客さんは、『誰がどこを間違えた』という聴き方をするだろうか。大方はみんなの一生懸命な演奏している姿を見に来ているのではないでしょうか。ミスしてしまうかもという恐れよりも、一生懸命を伝たらきっと音楽が生きると思います。」そう伝えた。これは高校生だろうとプロだろうと変わらないと思う。

そして本番。

本番の時刻になり一部はこっそり二階席で聴くことにした。とてもレベルが高く心地よい緊張感のあるステージだった。中学一年生の時、このバンドの演奏を聴いて入部することを決意した時の記憶が一気に蘇ってきた。あの時、あるいは中学3年で部活を辞めた時も、こうやってゲストとして共演する機会など全くと言っていいほど想像をしていなかった。

小澤篤先生(中央) と 作曲家の鹿野草平先生(右)

あっという間に自分の出番となった。音楽の力をかりて少しでもこの瞬間に部員の皆さんと会場にいるすべての人と繋がりを持てたらこれ以上幸せなことはないとそう感じながらの演奏になった。リハーサルよりも力強く生き生きとしたサウンドに包まれた。後押しされるように素晴らしい景色がストーリーとして繋がっていくのを感じた。非常に贅沢で幸せな時間。この経験は僕にとってとてもかけがえの無いものになった。原点回帰、初心を思い出し、そして時間が経過していく刹那の中の美しさを噛み締めた。

共演を経て、もらったもの

僕は多くの気づきをいただいた。まず、曲によっての完成度の違い。これがなぜ起こるのかを考察してみた。
特に金管楽器は音域によって技術が追いつかないということも生じるので、選曲段階で無理がないかという点もあるように思っていた。しかし、実際には、《こちらの曲では出なかった音域が、こちらの曲では容易に出ていた。》なんてことも起きていた。アレンジの問題なのだろうか。

終演後の集合写真

僕の中では別の結論に達していた。高校生たちにとってイメージがつかみやすいものと、そうでないものというものがある。それは音源の有無も一つの大きな要因だろうし、聞き馴染みがあるかどうかも重要な要素だろう。現代音楽であってもただカオスなものではなく、掴みやすいストーリーであったり、イメージをしやすい手触りがあるものに関してはすごく伝わるものがあった。数日後に音大を出たてのプロの演奏会を聴きに行った時も近いもの感じた。結局「好きこそ物の上手なれ」で、その曲への思い入れ次第でいくらでも音楽になるのだと感じた。

色々な景色を知って、色々な気持ちを知っていなければ、数多の曲たち全てを愛することはできないだろう。初心に返り、これから音楽家としてそういう視点を持って音楽を展開していこうと誓い静岡の地を後にした。またぜひ共演させていただきたい。みなさんありがとうございました!

現在 洗足音楽大学に通う 池谷彰恩くんと(右)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?