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M&Aクラウド及川氏が経験した1社目のバイアウトをした意思決定の理由と背景とは

全3回にわたり、1社目の創業からバイアウトの経験、M&Aクラウドの設立と3回の事業ピポット、時価総額10兆円までのロードマップや、M&A業界の課題とM&Aクラウドが発明した独自のマーケティングなどお話しいただきました。

第一回はなぜ1社目をバイアウトすると意思決定したのかの経験談をざっくばらんにお話しいただきました。

Podcastの書き起こし&再編集を行ったコンテンツです


元音源はこちら(約14分)


自社サービスはうまくいかず日銭は受託開発で稼ぐ

Q:最初に及川さんの自己紹介と、会社のざっとした事業サマリーを教えてください。

M&Aクラウド代表取締役CEOの及川です。

会社概要は、M&Aのオンラインのマッチングプラットフォームを提供しているスタートアップで、オンライン上で会社の売買をするプラットフォームの提供と、主にITとかスタートタップ向けのM&Aのバイナリーをやっている会社です。

直近2022年では、M&Aのプラットフォームとしては昨対で2倍くらいの成約数に伸びてきています。

加えて、事業会社がマイノリティに出資する、という資金調達のマッチングということもやっております。いろんな変遷を経て、領域範囲が広がってきたなあという感じています。

Q:簡単に及川さんのキャリアを教えてください。M&Aクラウドは、及川さんご自身では2社目の会社だと思います。1社目の会社の創業から簡単にご紹介ください。

僕はいま2回目の起業にあたります。

過去の経験というところで、1社目は2011年マクロパスという会社を学生起業しました。

当時まだシードのVCがまだ成熟していない環境下で500万の出資を受けたら株式を15%渡す、というたぶん今じゃあまり考えられない環境でした。

受託開発をやりながら、自社サービス作るというのが受託業界の中にはまだ雰囲気がありました。 

当時のnanapiという会社もまさにそうでした。BtoBの受託をやりながらBtoCの自社サービスにチャレンジすることをされていました。

要は、受託と受託に関連性のあるものを提供する、ということですごいかしこいなって感じてました。

Q:2011年の時期は、リーマンショックを越えたあとで結構受託の会社が自社のリソースを使いながら新しいサービスを作っていた印象はあります。OROさんとかはそういうモデルでもともとやってましたよね。WEB制作をやりながら、自社の工数管理システムを構築し『ZAC』というプロダクトでIPOをされました。受託しながら自社のサービスをつくる、みたいな。

僕たちもそんなかたちでやっていました。自社サービスについてはSNSのようなものを作った時期がありました。

僕が起業のタイミングでmixiに触れており、実際にmixiでいろんな人と会い、起業するメンバーを見つけたりもしてました。

mixiは、どたらかというとプライベート用で使っている人も多かったため、ビジネス版mixiができないかとOpenPNEっていうフレームワーク使ってテスト的に作りました。

ただその事業は、FacebookやTwitterが日本でめちゃくちゃ流行ってきたため「もうこれでよくね?」という感じでクローズさせました。

受託開発では、FacebookやTwitterに関連する案件も多く、社内知として蓄積されていました。当時Facebook診断アプリみたいなのが流行ったのをおぼえてますか?

Q:覚えてます。ユーザーの情報獲得するためのリード創出施策のようなものですよね?

そうです。Facebookでログインする友達などとの関係性が見える化されるなどもので、まさにリード獲得の取り組みです。

そのようなアプリの受託案件があり、それをガワだけ変えて開発・提供していくというのをBtoBの受託ではやっていました。

あとは「オイカフェ」という(ちょっと名前恥ずかしいんですが照)学生団体向けにコミュニケーションスペースを提供をしていました。月300人くらいに使ってもらうものになっていました。

そんな感じのものもやりながら、日銭を稼ぐことを1社目ではやってきました。

6億の損をして感じたM&Aの情報格差

心の底では「いつか自社サービスで当てるぞ!」と思っていたのですが、結果、受託が伸び、受託開発の会社になってしまいました。

それでも売上4億、利益4,000万ほどのちょっとした会社にはなったんです。

歴史に名を残したいというのがずっとありました。歴史に名を残すためには受託をやめなきゃいけないというのがあり、自社サービスをもう一回やるぞ、と奮起したのはいいんですが・・・・。

当時のエンジニアたちに受託をやめて自社サービスの開発をしていこうと言ったら「いや受託のほうが良いです」という反応が多くありました。

自分で受託開発をする会社を開業しておいて急に話を変えるのもな、というモヤモヤを抱えている中で、受託で伸ばしていきたいような会社さんに出会いました。

元々僕は学生起業なので、社会人経験が無いんです。でも僕の父も起業家で、その父の経営を見ていく中で「従業員を守る」っていうのがありました。

その影響で、僕も「従業員を守りたい」というのがありました。具体的に交渉の一つとして最終的に従業員全ての給与を5%上げてもらいたいというのを条件にしました。

Q:M&Aにおける絶対条件であったということですか?

条件は2つありました。一つは従業員の給与を5%上げてもらうというと。もう一つは、ロックアップなしというものです。無事条件が合い、締結しました。

ただ同じような業績のところが当時6億円くらい高く売っていたのを知り、思いの外、安く売ってしまったと感じました。

M&Aは経営者にとってすごく重要な意思決定にもかかわらず全然重要な情報がありませんでした。

この情報格差は社会的にも負が大きく、何かしらで解決できればインパクトがあるはずだと感じました。それがいまのM&Aクラウドに繋がっています。

歴史に名を残す企業の共通点は当たり前に「市場規模」

Q:バイアウトしようと思った意思決定のポイントってなんだったんですか?及川さんが新しいプロダクト、世界に名を残すプロダクトやサービスを作りたい、でも受託開発の会社では無理だからというのがあったんですか?

僕のベースの思考として、歴史に名を残す会社を作りたいというのがありました。

会社を残すためにはどうすればいいか?をずっと考えていました。学生起業だったので明確な解やアクションはなく薄ぼんやりしていました。

例えば、従業員にとってすごくいい会社を作った方がいいとか、潰れない会社を作ったほうがいいとか、1人当たりの利益が高いような会社を作った方がいいとか、Facebookよりでかいサービスを生む会社を作った方がいいとか。

そういうことがあまり決まっていない状態でした。

受託開発を続けていく中で「あれ?俺はどっちかというと歴史に名を残したいので起業をしたし、とにかくデカい企業を作りたい」ということに気付いたんです。

そこがクリアになったことで、僕が思うデカい企業をちゃんと調べたら、マーケットの規模に行きつきました。

参入するマーケットでそもそもデカくなるかどうか決まるということに気づきました。

なんで俺は石油やっていないんだ?とか、なんで宇宙をやっていないのか?など極論ですが思いました。

このようなものが見えてきたりしていて、いまの会社の延長線上で作るよりも、一度バイアウトして、再チャレンジしたほうがいいと意思決定をしました。

成功体験のある起業家がバイアウトすると・・・・

Q:2011年にマクロパスという会社を作りましたが、バイアウトはいつだったんですか?

2015年の12月です。

Q:バイアウトをすると、少なくとも3年とか4年一緒にやってきたメンバーと別れるわけじゃないですか?燃え尽き症候群みたいなすごくさみしい気持ちや感情が出るってよく聞くんですがそういうものはありましたか?

あったと思いますが、他の起業家の方と比べると少なかったかもしれません。

僕もバイアウトした起業家からそういう気持ちを聞くことありますが、なんとなく共通してあるのが「1社目の事業が成功した」と思っている人たちだと思うんです。

僕の場合は、学生起業したこともあり組織運営がうまくないみたいなこともあり、自分自身、当時はCEOとして自信を失っていました。実はNo2なのでは?と思った時期もありましたし。

ただ、会社を売ったことで、どちらかというと、燃え尽きたというよりさらにやる気になったというのはありました。

実際、バイアウトしてすぐにM&Aクラウドを起業しているので。時代を掴むときはここなんだ!と自分にも周りにも言っていましたね。

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