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自立へのヒント

皆さんこんにちは。能力再生相談所、内匠です。

先日図書館で借りた落合陽一氏の本(すみません、肝心のタイトルをメモ忘れた)の中にオッと思ったところがありましたのでまずはご紹介したいと思います。以下引用です。

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僕は誰かに褒められたりけなされたりしても特に落ち込んだりはしません。なぜなら、小学校から高校にかけて刷り込まれる、他人の基準に合わせて物事を判断する近代教育的価値観から抜け出すことができたからです。

テストでよい点数を取ったり、駆けっこで1等賞になることに価値があると教え込むのが高校生までの教育です。それに対して画一的な価値を意に介さず評価基準を自らつくり、自分で「美しい」と認めるものを追求するのがアカデミズムの世界です。

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これ、一見難しそうに感じます。いや、実際には簡単なところもあるし、やろうと思うと難しい、両方あるかなとは思います。

まず「簡単」というのは、振り返ってみれば普段の日常の中には上記のようなことは実は実践しているということです。それは自分が意識していないけれども。

趣味でも仕事でもいいですが、他人がいくら指摘しても自分はこうしたい、この方がいい、見たいなのがあろうかと思います。

私自身じゃないですが、20年ほど前、今の部門に異動してくる前の部署の若手の一人に、とにかく細かい作業にすごくこだわる人がいました。何を言われても、いや、俺はこれを確認しないと気が済まない、とかそういうことをおっしゃってました。

どんなにいい加減な人でも人それぞれで何かしら自分にとってのポイントがあるはずです。なぜといえばそこには自分が最も大切にしている何かが潜んでいるからです。こだわりというのはそういうものかなと私は思います。そのこだわりの部分というのは他人から見たら別に???ということが結構あるものです。

自分のこだわりのポイントというのは自分ではなかなか認識できないものです。ですから一度他人の仕事ぶりなどのこだわりのポイントを観察してみてはと思います。そうすると、自分とは違う点が浮き彫りになることによってあの人はこう、自分はそういえば。。。というのがわかるかもしれません。

そしてそれがなぜ自分はそうなのか、ということを考えてみると自分の好きなことがわかるんじゃないでしょうか。それがわかれば、冒頭で引用させていただいた落合陽一氏のような状態に一歩近づくことができるわけで、それがある意味自立するきっかけになるんじゃないかな、とそう思います(自分自身も改めて)

それでは本日も雑文、ご一読ありがとうございました。




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