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結局は自分が選択しているのかも

皆さんこんにちは。能力再生相談所、内匠です。

子どもがもうすぐ1歳半、日々活発の度合いを増していってます。

このくらいになってくると、単なる生理的欲求だけでなく、自分のやりたい、興味があることに本当に正直に行動にうつしてくるなということをつくずく思い知らされています。

ゴミ箱に興味を持ったらもう止まらない、引きはがしても引きはがしてもごみ箱に戻って蓋を開けて…冷蔵庫もしかりで閉めても閉めてもまた開ける、この繰り返しです。

翻っていわゆる物心がついてくると、だんだん自制心というものが備わってきます。

その自制心も善し悪しで、もちろん、社会に出ていく上では自制心というものが必要なことはあるわけなんですが(社会の規範上)、でも自分の欲望を抑え込んでしまう、ということが、人生の選択にまで及んでくるということがもしかするとあるんじゃないか、とふと思いました。

あれをしてはいけないとか、親に言われてやめた、の類がいつの間にか無批判に自分の人生の選択肢を狭めているかもしれない、自分でも気づかないうちに、そう、無意識の選択の中でそういうものがあるとするならば、もしかすると自分で人生をつまらなくしているかもしれないと子供を見てそう思いました。

もちろん逆に、これをしよう、と思った選択肢もある意味親の影響とかもあるかもしれません。

たまに育児書の類を読んでると、「ダメ」と言ってはいけない、みたいなことを目にしますが、きっとそういうことなんだろうな、と思った次第です。

一度自分の行動の選択について、どういう意識が働いているかを振り返ってムるといいかもしれません。例えば無意識のうちに、選択する中でネガティブな面ばかり見てやることを避ける、というようなことが顕著に表れているような行動パターンをしている場合は、親にあれをしてはいけない、これをしてはいけないと言われて育ってきたのかもしれないです。

そして自らチャンスの芽をつぶしているのかもしれない…

親としての自分の在り方と、そして自分自身のこれからの行動について、なんとなく考えさせられました。

ということで今日もご一読ありがとうございました。

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