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他人の「反応」をどう受け取るか

皆さんこんにちは。能力再生相談所、内匠です。

自分が話しているとき、相手がつまらなそうな表情をしたり、会議で意見を述べても無反応、あるいは言葉には出さなくても批判的な表情を浮かべていると感じた時、皆さんはどう思われますでしょうか。

いちいち気にしたって仕方ない、そう思ってもやっぱり気になってしまうというのが人情というものでしょう。

私も、このブログに時々書く2年前のグループ長更迭処分(された)時のこととかを思い出しますと、いろいろ言われてそれ相応に悩みましたし、職場のメンバーが全部自分に敵対しているような、そんな気持ちにもなったりしました・・・みんな表面上は笑顔だけど、腹の底では俺のことを嫌っている、みたいな、そんな気持ちにすらなったりしました。

ですが、もちろんそんなのは大半が自分勝手な思い込みであって事実ではなかったりします。

何の本だったか失念しましたが、こういうふうにかかれているのがありました。

他人の反応はしょせん、その人の考えでしかない。あなたとその人とでは考え方が違うのであなたの期待通りの反応をするとは限らない

確かにその通りで、所詮他人が自分のことを批判するにしても称賛するにしても、その人の考えでしかなく、私自身のすべてをあらわしているわけでも何でもないのです。

そうは言っても、ごく限られた範囲…職場なり、交友関係と言ったところではある人の意見がすべてを代表しているように見える、これはたしかですし、先ほど述べた私自身の体験…職場の人すべてが私を批判しているように見える…というのはごく普通の感覚だろうと思います。逆に言えばそういう人が多いからこそ、先ほど紹介したような本に、あのように書かれているともいえると私は思うわけです。

じゃあ、どうすればいいのか。

tこれ、私が思うにやっぱり訓練なんだと思います。

何を訓練するか、と言えばそれは受け取り方ですかね。

なぜなら、今の自分が他人の反応を批判的と思うような思考回路ができているとすれば、それが今の自分の思考パターン、デフォルトなわけなのでそれを変えるには、「これはその人の意見でああと全てが正しいわけではない」と思うように自分を訓練するしかない、そう思います。

もちろん、他人の批判の中にも、傾聴すべきポイントはあるかもしれません。もしそれを自分で見つけることができたらそれこそ、他者の批判に「ありがとう」と感謝をして、そしてその部分は今後どうしたらいいかを考えるとして、批判全てを真に受けて悩む必要はない、そういう風に思考を変えていくしかないんだろうと思います。

現に、私も今、あの更迭の時から時間がたって、全ての人が私を批判あるいは非難していたわけではない、ということがわかってきましたし。

それにあの事があって自分もやっぱり反省すべき点があったなと思ってそこは改善しようと少しでも努力はしてきました。なのであの出来事には今となってはやっぱりありがたい出来事だったんだな、と思えているわけです。

対人関係…いろんな人がいるので悩みは尽きないところですが少しでも参考になれば幸いです。

ということで今日もご一読ありがとうございました。



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