癒えるということ?他者受容?

私はファシリテーションを学んでいるところです。

ファシリテーションは進行もそうだけど

もう少し深い役割がありそう。

学んでいるのはテクニックというよりも 

ファシリテーションとしてのあり方。

その場にどう立つか。

最近アシスタントとして

教員研修や高校生の研修の場に

参加させていただきました。

半年までなら教員研修なんかに

絶対に入れなかったと思う。

わが子が不登校になってから

先生に対して偏見も含めて

色んな想いがあったから。

・先生は〇〇であるべき。

・学校に〇〇してもらえなかった。

・先生は忙しすぎて一人ひとり見てられない

・学校は保身ばかり

偏見や色んな想い。

そんな想いを抱えたまま参加したら

無自覚に想いが出ちゃって

先生たちに伝わっちゃうかも。 

今でも学校に残念な気持ちになっているママ達のお話はたくさん聞く。

私の中で反応はおこる。

先生個人の問題というより

組織・構造・環境によって

そうなるのだろうと解釈してる。

ファシリテーションを学んだり

毎週参加してる支援者の為の勉強会で

自分が癒えた。

相手のことを知って受容できるようになった。

先生の立場を考え先生に共感できる。

敬意を抱きます。

パワフルな高校生たちには心から希望を感じ、そのまま成長してほしい。

わたしにとっての

癒えるとは余白ができ他人も受容できるようになったことかもしれません。