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比べない価値観~常識も普通も存在しない~

こんにちは。セーラー服男子のなんでも相談屋さん、たくみです。

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新年度、新学期がスタートし新しい生活がスタートした方も多いと思います。希望を抱かれ進んだ道が、今スタートしたのです。

一方で、色々な焦りや不安に駆られている人も多いのがこの季節。

新学期新年度シリーズ第2段では、新しい環境で今までと違った価値観に触れて「今までの自分は間違っていたのだろうか?」や「世間ってこんなに理不尽なの?」と言った不安を少しでも和らげて頂けるような考え方をお伝えしていこうと思います。

1.比べることの不安


人は誰しも、様々な個性を持っています。

そして、同時に他のことを評価することを無意識ながら行っています。

目に見える差、客観的な能力の差など

常に自分が「比べる」ことと同時に「比べられる」ことに
晒されています。

これを息を吸うように当たり前に行っているのが人なのです。

それだけが悪いことだというつもりはありません。

服の色の好き好み、テストの点数の良しあし

比べることで結果に差が出ることも当然ありますし

現代社会ではそれが社会の進む上での判断基準になっている

ことは否定できません。


しかし、同時に「しなくてもいい比較」もあるのです。

自分の中にある劣等感、抱きすぎてすぐには手に届かない理想

特にSNSが発達した現代では、容易に他人の生活ぶりや

考え方を知ることができます。

そして、良くも悪くもそれは不安という形で

人の心の中に留まります。

結果から心の中の感情へとインプットしてしまっているからですね。

比較をしても良いのですが

それを自分の理想と比較しすぎることで

自分で「不安」という感情を取りに行ってしまっているのですね。

期待にあふれて入社した会社
こんなはずではなかった。
そんな時、SNSを開くと、友人の入社した会社は
同期同士で楽しそうに仲間ができたとやっている。
どうしてこうなってしまったのだろうか?


確かに比較をすると、こういう現実が待ち構えていることはあるのです。

しかし、次のような場合であったらどうでしょう?

期待にあふれて入社した会社
こんなはずではなかった。
しかし友人はコロナで就職もままならず
今日もあちこちバイトを掛け持ちして
日々をしのいでいるらしい。
仕事があるだけ私はマシなのだろうか


本人の状況は何も最初の場合と変わらないのですが

周りの状況だけを比べて本人が

不安という感情を選び取っているという事が

お分かりいただけますでしょうか。

比べても比べなくても、あなたはあなたなのです。

あなた自身で感情から現実を見ることもできるのです。


2.自分の考えを客観的に見る


比較しないことで、心の感情は選び取ることを1項で説明しました。

しかしとは言っても、誰かとのつながりが無いと

前に進んでいくことができないのもまた事実です。

そんな時に、よく言われて凹んでしまう言葉が

「普通は~~なんだけど。」

「常識的に考えて~~」

といった言葉です。

確かに平均的にとった値であったり

社会の法律に則ったルールからであったり

そういうある種の"幅"があることは否定しません。

が、同時にそれが全ての人に当てはまるものでもないということです。

自分で考えている以上に、この言葉を使ってしまう人ほど

色んなものへの判断を曖昧にし

自分に自信がないことを隠そうとしてしまっています。

考えていることの基準の多くを

他人にゆだねてしまっているからこそ

”幅”の中に納まっていることに安心してしまうのですね。

言われた方は心苦しいものですが

そういう”幅”におさまることに

違和感を覚えることもあると思います。


違和感を覚えた時こそ、学びのチャンスでもあります。

その”幅”を知っておくことで

”こうしておけば、うまく対処できる”

という護身術(?)も身に着けることができます。

まずは


自分は”幅”から外れたところにいるのかもしれない


という前提に立ってください。

それが決して悪いというわけではありません。

時代が変わればあなたの方が正しいこともあります。

そのうえで、「実際にどうなっているのか?」は

自分で調べてリサーチしてみる必要があるのです。



リサーチをする


例えば、少し前に話題になった、不登校の中学生(少し前まで小学生)だったyoutuberの方が

不登校でも普通、アメリカではホームスクールが主流だ。

という主張をしていました。

これは、確かにアメリカではホームスクールで教える資格を持った方が、学校教育に相当する時間をちゃんと担保するという前提で成り立っているからこそ成立している制度です。

そこで教える人が、ちゃんと教育を受けていないままに教える立場の人であれば教育の質は確保できないのですね。

だから日本では不登校が普通という”幅”になっていないのです。

これは調べてみないとわからないことです。

調べ方はグーグルで検索でも、友人に聞いてみることでもいいのです。

ただ、友人も”幅”を意識していない人だとその”幅”に収まった話しかできないということは念頭においておいてください。

そこで他の人と考える”幅”の差がわかる時もあると思います。

”幅”の中の方が、実は何だか間違っているのではないか?

と客観的に見ることでわかるのです。


会社という組織にいると

あれも常識

これも普通

そんな風に”幅”から外れた世界は

なかなか垣間見ることは出来ません。

他の会社のことや

知り合いの会社の習慣を聞くことで

ある程度ぼんやりと

見えてくる程度にすぎないのです。

そこで初めて、”幅”が見えてきて

それが正しいのか間違っているのかを

知ることができます。

その為にはリサーチするしかないのです。


だからこそ、”普通”とか”常識的”といった

言葉には惑わされないでください。

その””がいつも正しいとは限りません。

大事なのはリサーチです。


3.最後に


いかがでしたでしょうか。

心苦しい感情は、自分の考え方次第で

軽くしていくこともできます。

しかし、それでも感情が不安定になる時は

たくみさんに相談するとすっきりするかも

しれませんよ。

いつでもお待ちしていますね。





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