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何故、彼女は、ジャガイモを煮すぎてしまったのか? -シャンタル・アケルマン 『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』

——完全ネタバレの考察となります。—————

ベルギーの女性監督、シャンテル・アケルマンが75年に25歳で撮った作品です。主演は、ディルフィーヌ・セイリグ。(去年マリエンバートで!)

ブリュッセルに住む主婦、ジャンヌの”普通”の一日。

一人息子と二人暮らし。

何気ない日常がただただ淡々と写し出されます。

特別なハプニングはありません。

しいて言えば、彼女が主婦売春をしていることでしょうか。

でもそれも、彼女にとってはいつもの日常に過ぎません。何も特別なことではないのです。

彼女が事におよんでいる場面だけは何故か映し出されることはありません。

それが三日間繰り返されます。

そして、三日目の最後、彼女はある行動に出ます。

三日目に迎えた売春相手の男を刺し殺してしまうのです。

一体何故でしょうか?

三日間を振り返ってみても、彼女がそんな衝動にかられるような出来事は見当たりません。

でも、彼女の中ではある大きなことが起こっていたのです。

映画の冒頭。一日目。ジャンヌがジャガイモを茹でています。するとすぐに玄関のベルが鳴り、客の男がやってきます。

出迎え、事を済まし、金を受け取り、送り出すジャンヌ。

そしてキッチンに戻るとジャガイモがいい具合に茹で上がっていました。その日の息子との夕食で、「美味しくできたわね。」とわざわざ言ってますから、うまく茹でれたんです。

二日目の午後、彼女はまたジャガイモを茹でています。そして、また客の男がやってきます。昨日とは違う男です。

昨日と同じように、出迎え、事を済まして、男を帰します。

で、キッチンに戻ると、今度はジャガイモが煮え過ぎてしまっているのです。何故でしょうか?昨日は上手くいっていたのに。

客の男がしつこくて時間がかかったから?いや、違うでしょう。男を送り出した後、彼女はキッチンへは向かわず、シーツを直しに寝室に戻り、お風呂まで掃除しています。単に時間が長引いたのなら、真っ先にキッチンへ向かうのが普通でしょう。

単に忘れていた?それも違うと思います。彼女はジャガイモのことは決して忘れていません。何故なら、彼女はキッチンへ戻った時、まっすぐ鍋に向かっています。忘れていたなら、キッチンに入った時に「しまった!」と思うでしょう。

(ここのシークエンス、最初キッチンに入った瞬間、ジャンヌはハッと何かに気付くんですよね。観てる方は「あ、やっぱりジャガイモのこと忘れてたのか」って思うんですけど、違うんです。彼女が気づいたのはお風呂の電気を消し忘れたことなんです。で、消しに行ってそのまま真っ直ぐ鍋に向かう。ジャガイモのことは忘れてないんです。素晴らしい演出です。)

彼女が異変に気付くのは、鍋の蓋を開けた瞬間です。その時初めて、思いの外、時間が過ぎていることに気づいたんです。

時間感覚がおかしくなるほどのことが彼女に起こったんです。

でも、ジャンヌが写っている場面では何もハプニングは起こっていません。つまり、彼女が画面に写ってない時にそれは起こったのです。

そうです。二番目の男といた時です。実は彼女は、この男と寝て、初めて快感(オーガズム)を感じたんです。

突然の出来事に彼女は気が動転してるんです。で、鍋を開けた瞬間に自分がいつもの”冷静な”自分じゃない事に気付いたのです。

一日目を思い返してみてください。ジャンヌはとても貴重面でちょっと神経質なところがありましたね。出た部屋の電気は必ず消すし、ヨレたテーブルクロスの端を何気なく直したり、塩胡椒のボトルを気に入る位置にわざわざ動かしてみたり。別に困ってないという息子の発音の鈍りをなんとか直そうとしたり。

まさかこの私が、日常のルーティーンを着々とこなしているこの私が、失敗するはずがない。そう言わんばかりにジャンヌは急いで茹で過ぎたジャガイモを捨てようとします。まるで無かったことにするみたいに。でも気が動転してるので鍋をバスルームに待っていってしまうんです。

一人平穏を装い、作り直そうとベランダに出て、ジャガイモのストックを見るとたった一個しかない。急いで買いに行って作り直してると帰ってきた息子からこう言われてしまう。「お母さん、髪ボサボサだよ?」寝る前にきちんと髪をセットして寝るほどの人なのに。

日々のルーティンが崩れてしまった瞬間です。ジャンヌにとってはある種の恐怖だったでしょう。

そして三日目。ついてないことばかり起こります。

ブラシを落とす。スプーンを落とす。用事のあった郵便局は閉まっているし、探してた服のボタンも売っていない。友人が働いてるお気に入りのカフェに行けば、彼女もう帰りましたよ。と言われ、挙げ句の果てにお気に入りの席もおばあちゃんが居座ってて、出る気配が全く無い。

(因みにここで起こることは分かりやすいものばかりで、思わず笑ってしまう位可笑しいですね。ま、シャンタルはユーモアを少し足したかったのかもしれません。)

一つ一つは大したことではないよくある事だし、たまたまです。でもジャンヌにはそうは思えない。”あれ”以来、おかしなことになっているのですから。

ジャンヌは快感(オーガズム)をいけないもの、不吉なもの、離れないといけないものだと思ったでしょう。

でも三番目の男と寝た時もジャンヌはそれを感じてしまうんです。

これ以上、大切なルーティーンを崩されるわけにはいかない。ジャンヌは思わず、男を刺してしまうのです。

何故、ジャンヌはそれほどまでに日々の決まった繰り返し(ルーティン)を大事にしたかったのでしょう?おそらく、ルーティンを「儀式」のように思っていたからでしょうか。彼女にとってはとても厳粛なものだったんでしょうね。まさかそれを脅かす感覚が自分の中にあるとは思わなかったのでしょう。


自分の中にあった「秩序」をかき乱す、その「存在」。


ラスト、4分間に渡り、彼女はテーブルに座り、ただ空(くう)を見つめ、何かを考えています。


彼女は何を思っていたのでしょうか。