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幸先山と幸運の木(連作小説:微と怪異④)


H県の北、山に囲まれたとある町。昭和の頃は交通の要所として人が集まっていたが、今は寂れた市街地を残すのみで、最近は自然の豊かさを売りに細々と観光業を町の産業にしている、どこにでもある田舎町。

その町の中心部、ローカル線の駅から車で15分ほど行った先に、「幸先山」という場所がある。

山、といっても実際は小高い丘のような地形で、麓に車を停めて5分ほど歩けば頂上には展望台があり、町を見下ろすことができる。

その展望台の周りは、古い社があるだけで何もなく、観光地というにはあまりに寂しい佇まいだったが、1軒だけ土産物店がある。


その店の喫茶スペース(ダルマストーブの前にテーブルと丸椅子が置かれただけの空間)で、井城微いいきかすかは名産の五平餅を味わっていた。

「どうぞ、玄米茶です。都会から来たお姉さんのお口に合うかわかりませんけど」

50代くらいの上品な女性店主が、湯呑みを乗せたお盆を持ってきた。

「いえいえ、とても美味しいです。お話聞かせてもらうのに色々頂いてすみません」

「いいんですよ、最近お客さんもめっきり少なくなってるから」

「景色いいのに、もったいないですね」

「ここ数日寒さが酷いし、ここは少し不便だからねぇ。道の駅の方は結構お客さんきてるみたいだけど」

店主は、幸先山の土地を持つ家の一人娘だという。観光に力を入れようとなった時、荒れ放題だった山を整備し、展望台とこの店を作ったのは女性の父親だという。

「にしても、この山の話を聞きたいって人、あんまりいないから、最初聞いた時ちょっと驚いたのよ」

幸先山の由来や古い社の話を聞きたい、という微に、店主は家の蔵にあったという古い絵図を見せながら話をした。幸先山の名の由来は山頂の社、幸先神社からという。

「昔はこの山もこんな開けた丘じゃなくて、霧がかかった薄暗い森で、頂上の社に中々辿り着けないって言われてたらしいの」

「だからこの社に辿り着けた人は、その後商売も幸先よく儲かる道を見つけられる、ということらしいわ」

「なるほど。このあたりは、展望台ができる前もこういう開けた場所だと聞きましたが」

「ええ。幕末くらいに、この辺り一帯の木を切り開いて、畑にしようという話があって、木はほとんど切り倒されたらしいの。でもその後、畑作があまり振るわなくて、放棄されて荒地になっていたらしいわ」

「でも、幸先神社の鳥居のそばに、1本だけ、古い大木が残っていますよね。何故か境内ではなくその外にありますが、御神木でしょうか」

その言葉に、店主は玄米茶を飲む手を止めた。

「……ああ、『高利貸しの木』ね。まあ御神木といえば御神木だけど、ご利益があるから残しているというよりは………ね」
「『高利貸しの木』、ですか」
「ええ。うちの家ではそう呼ばれてるわ」

二人の間を、沈黙が通りすぎる。ダルマストーブの上に置かれたやかんが、シューシューと音を立てる。微は店主の顔を見たあと、五平餅を一口齧った。

「こちらに来る前に、色んな方にお話を伺っています。あの木に供物をして願い事をすると、どんな高望みでも叶うだとか、それで成功した一族がいるとか、そういう噂があるそうですね」

「……あの木はね、幸運を『貸して』くれる木だって、昔から言われてんのよ。今流行りのパワースポット? みたいな縁起がいいもんじゃなくて、ただ幸運を高く貸し付けている』だけ」

「貸し付けている、ですか」

「そう。あの木の根本で昼寝をすると、木の『主』に会える、と言われてて。その時『元手』を渡すと、その何倍も幸運がもらえるの。元手は何でも良くて、それこそガラクタでも……」

「その幸運はあくまで『借りている』だけだから、貸された分の幸運を返すことができないと消えてしまうの」

微は鞄から取り出したノートをパラパラとめくる。そこには、この町で蒐集した「幸運の木」ーー店主は「高利貸しの木」と呼んだが、の噂が書かれている。

「『干支が一回りする前にお礼をしなければならない』という話も聞きましたけど、それのことでしょうか」

「お礼なんて、そんな生やさしいものじゃないわ。借りた幸運の何十倍も、利子をつけて返さないといけないの。だから『安易にお願いしてはいけない』と、うちではそう伝えられているわ」

「なるほど、ただ願いを叶えるのではない、だから、『高利貸し』なんですね」

主人は頷くと、お恥ずかしい話だけど、と続けた。

「うちの分家にも、あの木に願って事業に成功したと噂されてた人がいたけど、その息子の代になったら借金まみれになって、とうとう夜逃げしたわ」

あの木は、うちの呪いみたいなものよ、と呟く店主の顔は、暗く陰鬱なものだった。



「『高利貸しの木』、ねぇ……」

微は店主に礼を言って店を出た。空は分厚い雲に覆われていて、頬をかすめる北風は冷たい。

そのまま古い社の方へと足を運ぶ。石造りの鳥居と、その隣にある背が高い古木。幹が太く、地面に根をどっしりと落とした杉の木だ。

それを横目に鳥居をくぐり、数歩歩くと目の前に拝殿が現れる。木製の拝殿は、手入れが行き届いていて古びてはいないが、決して新しくもない。

この拝殿は、先程の女性店主が10年前ーー分家の人が夜逃げする前に建て直したものだそうだ。

拝殿に手を合わせ、境内を出た微は、巨木の前で立ちつくしている男性がいることに気づいた。

年齢は40代といったところか。ブランドもののスーツをビシリと着て、金の指輪に金の腕時計、胸元からはシルクのハンカチ。

こなれた着こなしではなるが、どことなく成金のように見える、そんな雰囲気の男だ、と微は思った。

都会の繁華街ならともかく、寂れた田舎の観光地はこの男には似合わない。そしてさらに不釣り合いなのが、男が手に持っている小瓶だ。

中には、白やピンク、薄緑色といった、色とりどりの金平糖が入っていた。男は落ち着かない様子で杉の木に近づき、手の中で忙しなく瓶を弄んでいた。

「あの、すみません」

微が話しかけると、男は怪訝そうな顔で微の方を見た。

まあそれもそうか、と微は思った。今日は取材だからピアスは付けずファッションも大人しめにしたが、寂れた観光地で藍色の髪の怪しい女が話しかけきたら警戒されるだろう。

「何だ? 写真撮ってくれとかなら、他を当たってくれないか」

「いや、そういうわけではなくて」

「今忙しいんだ、君みたいなのに構ってる暇は……」

「金平糖は、幸運の木への『お供え物』ですか? 願い事は、叶ったんですか?」

微は男を遮り、単刀直入にそう聞いた。男は目を丸くし、口を開けたまま黙ってしまった。


「やはり、この木に願い事を叶えてもらった方ですか。干支が一回りして、幸運が途切れそうになってここに来たんですか? ぜひお話聞かせていただきたいんですが」

「……君、この木のこと、知ってるのか?」

微はすかさず名刺を取り出し男に渡した。「怪異研究家」という肩書きに首を傾げながらも、男は律儀に本革の名刺入れを取り出した。

男は金田と名乗った。名刺には、焼肉屋からスイーツ店まで手広く展開するフードチェーンの名前と、「代表取締役」の文字があった。

「私はこの町で生まれて、30までこの町に住んでいたんだ。ちょうど実家がこの近くにあってね」

金田は展望台の向こうに広がる景色に目を細めながら、口を開いた。

「就職した頃は不況で、こんな田舎には良い仕事がなくて……まあ、フリーターみたいな生活をしていたんだが、都会に出て一発当てようという気概もなく、腐った生活をしていてね」

いつの間にか空に晴れ間が見えてきて、北風も幾分か大人しくなってきた。まだ2月ではあるが、陽の光が当たると存外暖かい。

「そんな時、ふと、そう言えばこの木に変な噂があることを思い出した。高校の時聞いた噂で、木の根本で昼寝をした夢の中に出てきた子供になにかやったら12年だけ幸運が続いてその間は願いが叶う、みたいな話だ」

子供、ですか」

微は首を傾げた。これまで蒐集した噂の中に、そんな要素は出てこなかった。

「高校の友達の先輩で、急に羽振りが良くなった人が言ってた話らしい。それを聞いて、その友達と試しに木の根本で昼寝してみたが、何も起きなかった」

「でも、今やったら何か起きるんじゃないかって。その頃結構やけになっていて...…居酒屋のバイトが入っていない日の昼に、試してみたんだ」

その時持って行ったのがこれだ、と言うと、金田は目の高さに小瓶を掲げた。子供ならお菓子をあげれば喜ぶだろう、と思ったのだろうか。

「気がつくと、目の前に森が広がっていた。何の木かはわからないが背の高い木が日光を遮っていて薄暗くて、しかも、濃い霧がかかっていた」

「濃い霧、ですか」
「ああ。でもボーッと立ってるのも変だし、そのままあてもなく歩いていたら、着物を着た女の子供に会った」

「物欲しそうな目で手をこっちに突き出してきたんで、金平糖をやって、『これで俺を金持ちにしろ』って言ったんだ。そしたらニコッと笑ってーーそのままどこかへ行っちまった」

それ以降、男は奇妙なほど幸運に恵まれる。

アルバイト先の居酒屋で「ハズレくじだから捨てといてくれ」と言われた宝くじが実は当たっていて、その当選金を元手にN市で始めた飲食店経営が面白いほどに軌道に乗った。

フードチェーンの社長に就任し、結婚して子供ができ、全てが順風満帆だったという。

「だが最近、客が急激に減るわ、経営改善のための方策が全て失敗するわで...…その時気づいたんだ。例の子供に会った時からもう12年経ったことに」

金田は苦虫を噛み潰したような表情でそう言うと、スーツの内ポケットから小さな木の板を取り出した。夢から覚めた時、服のポケットに入っていたそうだ。

板には血のように赤い文字で「銀五分八厘 次ハ癸卯」と書いてある。

「癸卯、ということは2023年、今年ですね」
「この木に願い事をしたのは12年前の3月9日だ。あと数週間でちょうど12年だ」

「で、これから夢の中で少女に『お礼』の金平糖を渡しにいくわけですか。是非、同行させていただけませんか?」
しかめ面をする金田をよそに、微は好奇心に満ち溢れた表情で『高利貸しの木』の根本に座り込んだ。


「同行......? できるのかそんなこと」
「やってみないと分かりませんよ! さあさあ」

すでに昼寝をする体勢になった微に促され、金田も渋々腰を下ろした。北風が止み、陽の光が丘の上に差し込んできて、春のような暖かさだ。男と微は目を閉じた。

☆   ☆  ☆

気がつくと、目の前は鬱蒼とした森だった。

背の高い木に遮られ、陽の光は地上まで届かない。さらに濃い霧もかかっていて、視界が悪い。

「やはり、ここは木が切り倒される前の幸先山なんですね」

背後からの声に、金田は驚いて振り返った。微は石造りの鳥居に手を触れていた。鳥居の先には古びて今にも崩れそうな拝殿が辛うじて見える。

「この鳥居、嘉永二年(1849)奉納と書いてありますは、随分新しいですね。ということは、今は幕末期の江戸時代...…」
「どういうことだ!?」

「私たちは、夢の中で過去のあの場所にいる、ということですよ。そして例の少女は、過去の中で生き続けている少女...…」

その時、ガサっと鳥居近くの藪が揺れた。近づいてみると、そこには緋色の着物に無造作にまとめた髪の、10歳くらいの少女がいた。

「お前は!」
金田は少女に掴みかかりそうな勢いで駆け寄った。
「お前、12年前に会ったよな、金持ちにしてくれって願った!」

「ほら、また金平糖やるから、もう少し、俺に幸運を分けてくれよ。俺にはお前からもらった幸運以外に、学歴も、経営センスも何もないんだ」

「12年前とは違う。家族も、会社の従業員もいるし、今更貧乏には戻れないんだよ。だから、頼む!」

金田は必死にそう言い、金平糖の瓶を少女に渡した。少女は無表情で受け取ると、中身を掌に取り出し、重さを量るように掌を上下させた。

そして、不満そうな顔になると、金平糖を瓶に戻し、そのまま金田に突き返した。

「...…おい、これじゃダメってことか?」
少女は手を前に差し出した。代わりのものをよこせ、ということだろうか。

「12年前はこれで喜んでたじゃないか! 何がダメなんだよ」
「『利子』が、いるんじゃないですか?」

微がそう言うと、金田は彼女を睨みつけた。
「利子、だって?」
「あなたが聞いた噂がどんなものか分かりませんが、その木は、この神社を管理する家系の人に『高利貸しの木』と呼ばれているんです。借りた幸運には、『利子』をつけて返さないといけない」

だから12年前と同じじゃダメなんですよね、という微の言葉に、少女は大きく頷いた。男は苛ついたように舌打ちをして、本革の財布を取り出した。

「がめついガキだな。じゃあいくら欲しいんだよ」
「江戸時代に生きる彼女に現代のお金の価値は分かりませんよ」
「じゃあ何やったらいいんだよ!? お前も他人事だからって呑気なもんだな!」

体裁をつくろうのをやめ、声を荒らげる男を、微は無表情で見つめた。霧の向こうで、不気味な鳥の鳴き声が聞こえる。


その時、少女がスッと、男の金の指輪を指差した。

「...…ああ?」

男は目を見開いた。

「おいおい、この指輪は24金だぞ。金平糖にどんだけ利子つけたらこれになるんだよ?」

声を荒らげる男に、少女は微動だにしない。

「お前、ご神木の精なのか何だか知らないが、ふざけるのもいい加減にしろよ」

「金田さん」
「何だよ。さっきから黙ってるけど、怪異研究家? なんだったら、何とかしろよこいつ」
「無駄ですよ」

微の氷のように冷たい声を聞き、男は口を開けたまま絶句した。

「この少女が生きている時代、幕末期の江戸時代、金貨は銀60匁と交換されていました。当時の小判1枚の金の含有量は50%、重さでいうと6グラムくらいです」

「……だから何だよ」

微は懐から、男が持っていた木の板を取り出した。

「金田さんが最初に私た金平糖に付けられた値は、『銀五分八厘』。当時は砂糖が貴重だったので、今の価値よりは高いはずです」

「24金、つまりほぼ純金の指輪ーーお見受けしたところ3グラムくらいでしょうか。『元手』の価格、銀五分八厘(0.58匁)が、金3グラムに。銀60匁=小判1枚=金6グラムとして換算すると、約52倍です」

「な......!」

金田は再び絶句した。

「12年間で元手の52倍だとしても、ヤミ金並みの利率です。あなたは、そういう相手から幸運を『借りた』んですよ」

その相手との取引を続けるかどうか、それはあなた次第です、という微の声を、男は青ざめた顔で聞いていた。少女は夜の闇よりもさらに暗い色の瞳で、男をじっと見つめている。


「……………そ、それでも」

ややあって、金田は口を開いた。

「それでも、俺は今の暮らしを捨てたくはない。例え高くついたとしても、幸運だけで金持ちになって、家族もできた。それを手放したくはない」

男は震えながら、左手の薬指にはめた指輪を外すと、少女の小さな掌の上にのせた。

少女は掌を上下させ、指輪の重さを量っているかのような仕草をして、それからニコリと笑った。

少女は微と金田にくるりと背を向け、走り出した。

「おい!」

男の声を背に受けながら、不思議な少女は霧の向こうに走り去っていった。


☆ ☆ ☆

杉の木の根本に座り込んで眠っていた金田は、スマートフォンから鳴り響く着信音で目を覚ました。陽が傾いたせいかぐっと寒くなっていて。展望台の向こうの景色は、夕陽でオレンジ色に染まっていた。

『社長、今どちらにいらっしゃるんですか! 今日各店舗から報告が入って、ここ数ヶ月客の入りが少ない店で客が急激に増えていて、元々客の入りが多い店は店外に行列ができて、混乱しています!

『メディア各社から取材依頼も来ています。どうやらインフルエンサーに紹介されたことが原因のようですが』

『それから、こちらは別件ですが、アメリカの大手フードチェーンから業務提携の話が来ていまして……』

「ああ、待て待て! そんな一気に話すな!」
『今日は経営が悪化した事業の廃止について話す会議だったんですが、それも中止にして対応に追われる始末で』

「当たり前だ! こんな好機逃すわけにいかんだろう。とにかくすぐ戻る。web会議を繋いで移動中にでも……」

金田は慌ただしく立ち上がると、早足で麓へと降りる道に向かう。微は根本に座り込んだまま大きな伸びをして、彼の様子を見ていた。

その時、金田のスーツのポケットから、何かが落ちた。

「あ、金田さん、何か落としましたよ」

微は立ち上がって彼が落としたものを拾い、金田を追いかけた。だが、麓まで降りたとき、金田が乗った車が駐車場から急発進していくのが見えた。その横顔は、先程の男とは別人のように、生き生きとした表情だった。

「…………まあ、いいか」

微は呟くと、金田が落としたものーー小さな木の板に目を落とした。そこには、「金7分5厘 次ハ乙卯(2035)」と書かれていた。


12年で52倍、24年で2704倍……

彼は、ひょっとしたら彼の死後その子供は、幸運を借りた代償に一体どれくらい払い続けなければならないのだろう。

「妖怪よりも、幸運をくれる神様の方が、よっぽど恐ろしい、ってね」

微はそういうと、そのまま幸先山を後にした。


ーー
金平糖の価格は安政年間のデータ(一斤=600g 三匁五分)を参考にしました。計算したら100g  400円くらいでまあまあ高いです(とらつぐみ・鵺)

参考文献・サイト
小野武雄『江戸物価事典』展望社、2009
日本銀行金融研究所 貨幣博物館「江戸時代の1両は今のいくら?ーー昔のお金の現在価値ーー」
https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/edojidaino1ryowa/