「ウヨンウ弁護士は天才肌」を一気見した、もうすぐ40歳の男

Netflixを立ち上げるとトップに出てくる。
Tiktokを立ち上げると例の妙な挨拶が切り抜き動画として出てくる。
既にドラマを見た奥さんに聞いたら「面白いよ」との事。
ということで一気見してみた。

主人公はASDという障害があるウヨンウ弁護士。
彼女が自身の障害や偏見と闘いながら、弁護士の上司や仲間と裁判を乗り越えていく、というのがざっくりとしたストーリーかな?

障害を扱うのは、今の日本だと難しい。
難しいというよりかはテレビ局が扱いたがらないというのが本音だろう。どんな視点や扱いで描いても何かしらの批判などが発生するからだ。
「コンプライアンス」という言葉が制作における壁ではなく、言い訳のように使われるようになったような気がする。

世界発信のNetflixでこれを発表した事は凄いと思う。ドラマも微妙なところに触れていくのだ。
例えば、ASDの弟が兄を殺した罪で裁判をする話。
死因は勉強についていけなくなった兄が首を吊ろうとしたところ、弟が助けようとしたら誤って背中から落ちて、背中側の肋骨が心臓に刺さったことによるものだったが、事件に対するネットの書き込みは「秀才が死に、障害者が生きた」という冷たいもの。その書き込みに対して、ASDに対する偏見はこんなものですと読み上げる主人公。
この辺りの演出は難しかっただろうなぁと勝手に推測する。
ASDは症状によって、同じ病気と言っていいかわからないぐらい差があると思っている。
だからこそ、病気を画一的に扱うな!と言われかねない。
また、同僚のクォン弁護士とチェ弁護士がウヨンウについて言い争った時にクォン弁護士が「ウヨンウは弱者か?強者だよ!」と言い返したシーン。
主人公はASDで人とのコミュニケーションは著しく苦手だが、法律の条文は刑法、民法問わず全てを暗記している特殊能力があり、その能力と閃きによって事件を解決してきた。その為、上司からは一定以上に障害への理解を示されておりウヨンウの周りには味方が多いように描かれている。
能力があり、味方も理解者も居るウヨンウは本当に弱者と呼ぶに相応しいのかというクォン弁護士にチェ弁護士も言い返せなくなる。
障害の程度や種類によってその人を公平に扱い接するというのはどういう事なのか。
人と人は能力の差によってどう仕事をするのか。
そんなことを考えさせられる演出でした。

リーガルドラマとしても、恋愛ドラマとしても面白かったこの作品。
久々にドラマの一気見なんかした40歳間近のオジサンは穿った目線で見ちゃう面倒くさい人間なのでした。

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