経営とデザインを一体化するコムデギャルソンの革新性
ファッションブランド「コムデギャルソン」はデザインマネジメントによってイノベーションを成し得てきた。コムデギャルソンのイノベーションは三点ある。
第一に、コムデギャルソンは既存の概念を脱構築するアイデアを提示し、実践している。創業者でデザイナーである川久保玲は、1982年のパリコレクションで、パリ・オートクチュールを頂点とする世界のモード界を震撼させる「黒服、穴あきニット」を提示して「黒の衝撃」と呼ばれて旋風を巻きおこした。
造形としてもコムデギャルソンは一貫性を持ってすべてのブランドを設計している。コムデギャルソン本体のブランドデザインは川久保玲のみでアシスタントはつけない。ライセンス契約もしない(黒の衝撃で共闘するワイズの山本耀司は逆にライセンスだらけ)。生産は日本製で、徹底した品質の縫製を維持している。
第二に、コムデギャルソンはファッションという自らが棲息する領域をメタ化し、ファッションデザイン界のデザイン=再構築を行っている。
たとえば川久保玲は2004年にロンドンのメイフェアという高級住宅街で「ドーバーストリートマーケット」というセレクトショップを立ちあげた。コンセプトは「美しいカオス」と称して、世界中の先鋭的なファッションデザインが集っている。コムデギャルソンというひとつのアパレル企業が、競合のアパレル企業たちを誘い集わせて競い合わせているキュレーションを実現している。
さらに川久保は、若手のデザイナー支援も手掛けている。コムデギャルソンの社内デザイナーには年齢や経験を無視し、能力を買って自分のブランドを付けて挑戦を促している。外部でも彼女が目をつけたデザイナーには、コムデギャルソン所有の工場を無料で貸与し、量産体制をサポートしている。
第三に、川久保玲という存在そのものにイノベーション性が備わっている。川久保はデザイナーであり、同時に経営者であるという二律背反におもえる存在を肯定してきた。川久保はよく経営とクリエーションは二本の柱であると言い、発言にも「デザイナーであればこそ経営もする。そうして自己完結できてこそデザイナーとして真の独立が可能」と残している。
この考え方は世界中の後継となるファッションデザイナーたちに多大な影響を与えている。デザインとはスタイリングではなく哲学でありビジネスである、という斬新で強力なコンセプトを敷衍している。
川久保はその発言が伝説化され、外で勝手にブランディングされ、外で勝手にイノベーションが起きていく現象を受け入れている。「デザインをしないデザイン」という川久保独特のデザインマネジメントが実現されている。
以上の理由により、コムデギャルソンならびに川久保玲は、日本のデザイナーを代表するだけでなく、世界を代表するイノベーティブなデザイン企業およびデザイナーと評するに値する。
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