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今日も何かを掘り起こせるのではないかと思い、句点(。)をたった一つに決めて、

書き始めているわけでありまして、昨日の面白くて気持ちいい感覚を残したまま、というのも嬉しいところで、コメントではありがたく、大変好評と言いますか、意外と読みにくいわけではなかったとのお声を頂戴し、歓喜の気持ちが湧いてきつつ、また今日もノープランで取り組んでおりまして、この書き方をすると、何か自分の知らない新しいものに出会える確率がグンと上がるのではないかと夢想し、進めていくわけでありますが、何が楽しいかと言いますと、まず勢いが途切れないので、直前の文章の響きを大きく残したまま、自然な流れに気をつけつつ、それに縛られながらも自由を感じ、次の言葉を紡ぎ出すという不思議な感覚がまずあって、その際に、脳の言語野の発火具合がいつもよりとても甚だしく、どうやら普段とは違う伝達を生み出しているようで、自分では気づかない情報領域に深くアクセスしやすくなっているのではないかと感じており、どうぞこれをお読み頂いているあなたも、一度試してみてはいかがでしょうかと、急にお勧めを挟んだわけでありますが、きっと多くのことに気づかれるであろうこと、請け合う次第でございまして、さて、ではこの一風変わった言語野発火を使って、何を掘り起こせるのだろうかと考えるにつけて、実は考えるのではなく、とにかく手を動かすというのがこの方法の要諦であると気づいたので、どんどん書き進めるわけでありますが、そういえば今日は終戦記念日であったことに思い立ち、それについて手を動かしてみますと、ちょっとここで手が止まってしまい、どうやらあまり関心がないようで、自分のノンポリ具合と薄情さに少々恥ずかしさが出てまいりましたが、思い起こすに、若い頃にもっと恥ずかしいというか、今考えると青いというか純すぎるというか、いや、実際にそういう思想をお持ちの方には失礼にあたる気がするので小さい声で言いたいのですが、大学時代は誰の影響を受けたか、けっこうな右寄りの考えを持っておりまして、今はどちらかというと真逆の思想のほうが好きなのですが、当時、終戦記念日には、ああ、命を賭して戦った英霊達に感謝を捧げる日なのだなあ、なんて感じていた記憶がありまして、なんか恥ずかしいんですけど、こんなことを書いてしまったのも句点を使わないことによるものでしょうから、構わず続けたいんですが、現在はというと、そういう感傷的な気持ちはほとんどなく、といっては怒られそうでちょっと怖いんですが、でも本音でして、終戦記念日に思いを馳せて浮かんでくるものとしては、遅すぎるよ馬鹿野郎、ってな具合で、やはり日本的なシステムの最大の難点といいますか、仕組みを作ると必ず出てくる意思決定の愚鈍さみたいなものに、思い至るわけでありまして、それは今も変わっておらず、役所関係の手続きをする際にはいつも、その手際の悪さに小さな怒りを禁じ得ず、この問題は根深いものだなあ、なんて終戦から79年経った今日に思うわけで、なんでこんな小難しいことを私は書いているのだろうと考えると、やはり普段とは違う言語野発火が影響しているのは間違いないことでして、こんな方法でも使わないと絶対書かないであろうことが今、吐き出された次第であって、びっくりしているのですが、さらに日本的システムの欠点を掘り下げようと、手を動かしてみますと、どうでしょう、手が止まってしまうではありませんか、どうやら、これ以上は言語野を発火させる燃料が尽きてきたようなので、冷蔵庫にある水ようかんに手を出そうと思い立ち、こちらの記事はそろそろ終わりにしようという思いが込み上げてきているのですが、どうしましょうか、水ようかん食べていいですか、なんて確認しつつ、この文章が持つドライブ感を止めるのが惜しいなんて考えも出てきており、この続きはまた明日に回さして頂いて、できる限り毎日続けてみようと決意したい次第なんですが、いかがなんでしょう、読みにくいこんな駄文をあなたにお目汚しあそばせることは、迷惑なんじゃないでしょうかなんて弱気になりつつ、やはり楽しいのでたぶん明日もやります。

ここまでお読み頂きありがとうございました。 こちらで頂いたお気持ちは、もっと広く深く楽しく、モノ学びができるように、本の購入などに役立たせて頂いております。 あなたへ素敵なご縁が巡るよう願います。