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「就農は、みんなが関わるもの。」Uターン就農した梅農家三代目が見据える農の未来とは

生で食べると、まるですもものように美味しい梅がある。

ここは、和歌山は田辺、上芳養。
そこで祖父から継いだ梅を減農薬の無化学肥料で育てているのが山森農園の園主、山森さんだ。

一般に流通される梅は、流通の段階で傷まず追熟させるために青梅といわれる未熟果であることがほとんど。

しかし、彼は一番美味しい状態で届けるために、地表近くに張られたネットに落下してきた完熟果を拾って収穫。この方法を、農業に携わり始めた10年前からずっと続けている。

現在は、祖母と奥様を合わせた家族3人の経営で、大阪で行われるマルシェにも頻繁に出店し、個人のお客様との直接取引を大切に広げている。

そんな彼の就農した経緯や作物に対する想い、今後の目指す方向性についてお話を伺ってみた。

「地元に骨を埋める覚悟だった」。大学中退のちUターン就農。

「上京して神奈川の工科大学に通っていたんだけど、途中でうまく行かなくてさ。やめちゃったんだよね。」

中退して1年間、何も手につかない時もあった。意を決して、故郷である田辺に戻ってからは実家の農作業を手伝いながら、地元の農業に関わる企業で5年ほど営業や販売の経験を積んだ。

「無気力でどうしようもなかった頃、周りの人から“地元のことを語るとき、いい顔してるね”って言われたことがあったんだけど、それが自分にとっては忘れられなくて。上京したけどやっぱりおれ地元好きなんだなーって。」

実家に戻ったはいいものの、もともと農業を専門として勉強していなかったために、地元の農家から相手にされなかった時期もあったという。

ただ、農家として、農を生き方にして家族を養うと決めた彼は、家族のことを想い、果樹では難しい減農薬・有機栽培に切り替えた。

梅も人間と同じ。梅の立場になって考えてみる。

彼の栽培の特徴は、肥料分にミネラルを存分に与える農法をとっていること。ただし、施肥設計(与える肥料の割合ややり方)は、季節によってバラバラにしている。

「人間でもそうだけど、季節によって食べたいものは違うでしょ。夏はそうめんを食べたいし、冬は鍋を囲みたい。だから、春は菜種とか植物性のものを多目に、冬は動物性のものを多めに寒さを乗り切ってもらうようにしているんだよ。」

農法の先には、どうすれば病気もなくもっと健やかに育つのかの答えがある。そこに加えて、梅の立場になって考えてみることが大切と彼は語る。

「剪定するときも、自分がもし梅だったらこのあたりが邪魔だろうなーとか考えていて。昨日雨が降って気持ちよかったから、今日は多めに(実を)落とそう!って思ったり。人と同じように梅にも機嫌がある。こんなこと言ってると周りから変な目で見られるけどね、笑」

梅に語りかけながら収穫をする姿は、まるで『奇跡のリンゴ』木村氏のよう。梅に対する愛情は10年間、日に日に増すばかりだ。

就農すること、地域に関わること。

しかし、周りでは高齢化により耕作放棄される梅畑もある。知り合いの新規就農者も3人中2人が離農した。

「就農するって、すごいハードルが高いんだよね。だけど、おれは就農ってみんなでするものだと思うんだ。10年続けて思うけど、いままで関わってくれる人とのご縁がなかったら、いまの山森農園はないから。」

地域の先輩農家の中には排他的な方も多く、こだわった栽培ができないと、各地域で苦労される新規就農者も多い。

新規就農者を地域の取組みとして支えることも、隣近所で支えていくこともどちらも大事。新規の人にもっと頼られる存在感を出したいと、意志を強くする。

おわりに

暮らしを考える任意団体「ゆとりの。」として援農やイベント出店を行なっている中で、山森さんと出会ったのは今年3月頃。

学生メンバーとも意気投合し、またお手伝いにいくと話を進めていて、ついに伺うことができた。

僕が尊敬している、人として生きる力の強い個人農家さんはほとんど20年くらい農業を続けている重鎮のような、厚みのある方ばかり。

その中でも、山森さんは特に物腰が柔らかく、新しいことを取り入れていこうとする姿勢を持つ稀有な方だ。

援農の受け入れには不安があったけどちょっと離れた家族ができたみたいと思えたよ、
と屈託のない笑顔で言ってもらえたことがとても嬉しかった。

山森さんご夫婦、ありがとうございました!

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