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小さな声を愛せるように

写真は最近行っているぶんじ寮の焚火です。癒される~



権力性、暴力性から逃れるのはむずかしい。。


たくさんのものに助けられて、元気になってきました。
あちこちを動き回ったり、いろんな人にあったり、難しい本を読んだりしてると、自分がすごい人になった気になる。傲慢になる。それがすごく怖い。

押し入れに押し込めば入る、小さな箱に収納できる小さなからだなのに。



これまでも今も聴けているのかはわからないけれど、自分が傲慢になればなるほど、自意識過剰になるほど声なき声を聴けなくなっていく。

小さな小さな声に耳を傾けて、聴けるように。他愛ないものたちを愛せるように。





スケールが圧倒的な知夫里島。死ぬ前に訪れたい絶景に出会った。



赤ハゲ山はこの世界の天国なので、ぜひ自分の身体で感じてほしい。この写真じゃないよ。





そんなに鎧は持ってないけれど、鎧をいつでも脱げる自分でいたい。(鎧の大切さも実感しています。)

自分の中に承認欲求もちゃんと感じるし、それらのおかげで動けているなあとも思う。それらはきっと悪いものでもなんでもなくて、扱い方なのだろうと思う。




特権とか権力とか暴力性を自覚するのは、むずい。ほんとうに、むずい。




ぼくは強さと弱さを結んで、ゆるめて、ほどいていきたいし、いろんなものが滲む場をつくりたいし、互いに違っていても共に在れるようなひとでいたい。すこし前に友達と背中合わせで座ってみて、背中合わせ(違う方向向いてても、違う考え・価値観を持っていても)でも共にいること、共に在ることってできるんだな~って感じた。

今思ったけど、むしろ背中合わせで座ったり、立ったりするのって勇気いるなあ。それってお互いを信頼していないとできないし、逆にそっちはお前に任せた!みたいなことができるのかも。なんか、違うっていいかも。素敵かも。




もっと自分の在り方、器を深めて広げて、結んで、ほどいていきたい。



自己嫌悪とか劣等感とか嫌いで、苦手だったんだけど、苦しかった時に大切な人がすてきなメッセージをくれて。



自己嫌悪に陥ったとき、どうしてる?どう考えてる??



んーー、
きっかけになる出来事があったりしたら、
思い浮かべるとそりゃー自己嫌悪になるよなぁ、この感情あってるあってる。(伝わるかな)みたいに思ったり、
調子に乗らせないでくれてありがとう、そうだったまだまだでした、精進しますとか。
なんで自己嫌悪になってるんだっけ?なにが引っかかってるんだろう。何を求めてるのかな。とか
今のわたしがあること、ありがとうみんなありがとう 


でもこうやって考えてるときは、割と落ち着いた後かも。自己嫌悪がたくさん出てるそのときは泣ける時はないてる!よしよし。なでなでとも思ったりしてるかなぁ。


メッセージを受け取って自己嫌悪とか劣等感たちそれ自体はすごく苦しいんだけど、悪いものじゃないよなあと感じたし、最近それを強く思う。





赤ハゲ山!!





こんな感じのことを考えていて、みんなが自分の内側にある小さな声に耳を傾ける、お互いの小さな声を祝福しあう、弱さや存在、命でつながる場とかイベントを創りたくて。



ろうそく、アロマ、お香とかも準備したりして。

みんなで温かいお味噌汁をつくって、土鍋でご飯を炊いて、一品料理を作って、漬け物とかも準備しちゃって。みんなでいっしょにご飯をたべる。




職業とか、大学名とか、普段やってることとか、肩書きとか、そういった鎧をぬぎぬぎして。

背伸びせず、等身大のありのままで、とまり木みたいな、ゆくゆくはゆるやかなコミュニティになったら嬉しい。

そんな場やイベントを創りたくて、興味ある人気楽に連絡してくださーい!




ぼくができないこと、知らないこと、持っていない経験:
SNSの運用、チラシ・パンフレット・バナー・フライヤーの作成、場の空間デザイン(居心地よく、安心できる空間)、告知の仕方、集客の仕方、イベントをやるのに良い場所、温かくておいしい料理つくること、イベントの運営などなど

できるよー、知ってるよーって方、ぜひ一緒にやりたいし、教えていただきたいです!

何も決まってなくて、白紙で、僕自身どう進めていったらいいか分からないです。みんなでつくっていけたらうれしいです!



東京に古民家や一軒家借りて、シェアハウスも創りたい、と思っているのでそちらも興味ある人いれば!
興味ある人気楽にいつでも連絡くださいー!




ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!