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その辺にありそうなフィクション4「月みたいな存在になれたら」

*1/9

店を出ると結構な雨が降っていたのに私は傘を持っていなかった。
昨日見た天気予報では雨なんて表示なかったと思うんだけどな、と天気予報サイトに少し腹が立つ。

「入りますか?」

この雨をどうしのぎながら移動しようかと考え始めたタイミングでさっきまで私の隣に座っていた瑞樹くんが声をかけてきた。
この二時間ほど左隣で聞こえていた声色。すっかり聞き馴染んだその声がとても優しく私を誘った。

「ありがとう、助かったよー!」
私はそう返答し、彼の傘に入れてもらう。

次の店に移るまで、雨に囲まれる傘の中で過ごした数分間。特に具体的な話はしなかったけれど、意図せずできた二人の空間はなんだかとても心地よくて、このまま二軒目なんて行かず二人で抜け出してしまうのもありかななんて思ってしまう自分がいた。


*2/9

一軒目終わりで二人帰宅し、残った六人で二軒目へと入店した。
店の中に入ると店員は私たちにすぐ気づき、六人丁度が座れる長机の座席へと案内してくれた。

数学の苦手な私は、六人の場合何通りの着席順があるか瞬時に導くことはできない。けれど幾通りの中から彼と少しでも話せる確率が上がりそうな席を選ぼうと思い、左列の真ん中の席に座った。

——隣空いてるよ。

そんなことは思ってももちろん口には出せない。けれど時間にしてほんの数秒の間、瑞樹くんの様子を気にしながら心の中で何度かそう呟いてはみた。
すると、そんなことを知るよしもないはずの瑞樹くんは一通り座席を見渡すと、すっと自然な感じで私の隣に腰を下ろした。

——嬉しいな。

真っ先にそう思った。

——もう少し落ち着こう。

次にそう思った。
それからメニューに手を伸ばし、何を注文するかについて考えながら平静を装うことに努めた。


*3/9

二軒目でもそれなりの量のお酒を飲んだ。私だけじゃなくて周りも同じくらいに。
会計を済ませて店の外に出ると雨はまだ軽く降っていた。

「入りますか?」

瑞樹くんが再び声をかけてくれた。

「あっ、どうもありがとう」

正直また声をかけてくれることを少し期待していたので、すごく嬉しかった。けれど決して高揚していることは漏れないよう、なるべく普通な様子でいることを意識しながらお礼を言い、彼の傘に入れてもらった。

「なんか気分もいいし少し飲み足りないな、もう帰るんですかね、みなさん」
瑞樹くんがぽつりと呟く。

「そうだね」
私は共感の気持ちが伝わるようにと相槌を打った。

「もう一軒行きますか?」
「うん、私もまだ飲みたい気分だしそうしよう!」
お互いの意見が合った。それを機に本当に自然な流れで、私たち二人は集団から抜け出すことにした。

「みんなに気づかれなかったかな?」
「大丈夫だと思いますよ、僕ら二人ともみんなと乗る電車も違うし。みんな酔っ払ってたので気にしてないと思います」
私はそうだねと相槌を打ち、彼の傘から外れないように意識しながら歩くことを続けた。


*4/9

あれから二ヶ月が経った。
あの日は何もかも思うままに、あっという間に時が流れた夜だった。
結局二人で抜け出した後、いざ次のお店を探したけれど近くに良さげな店は見つからなかった。

私は何となく予想できるこの後の行き先を頭に浮かべた。
別によかった。むしろそうしたいとすら思った。
けれど彼は想定と異なることを言ってきた。
「雨もほとんど止んできたし、気温的にも心地良い感じかなと思うので、もし唯さんの体力が大丈夫でしたらコンビニでお酒でも買って、飲みながら隣駅くらいまで散歩しませんか?」

瑞樹くんは結局私の想像してた行き先に行こうとはしなかった。

私としては少しの寂しさもあったけれど、それよりも自身に対してなんとも言えない虚しさを覚えた。すっかり余計な部分だけ大人になっちゃったなと。

私はもちろん彼の提案を許諾し、視界に入ったすぐ近くのコンビニへと二人で向かった。

缶チューハイを一本ずつとお水を一つ買ってから地図アプリをひらき歩く道を確認した。それからお互い自分のペースでお酒を飲みつつゆっくりと歩を進めた。
歩き始めて少し経った頃にはすっかり雨も止んで、月明かりが夜空の一部をほのかに明るく染めていることに気づく。
「一軒目出たときなんて結構な雨だったのに、すっかり止みましたね。ほら、月まですごくきれいに見えるし。なんか夜の散歩って僕好きなんですよね。ごめんなさい付き合わせてしまって」
瑞樹くんがそう謝ってきたのち、改めて私に疲れてないか確認してくれた。けれど私は付き合わされてるなんて気持ちも全くなかったし、それよりも瑞樹くんも月が見えることに触れたことがなんだかとても嬉しかった。

それからも他愛もない会話をしながら歩いた。時間は二十分くらいだったと思う。季節は初夏だったから終電を逃した夜中でもぜんぜん外にいれる気候で、彼と歩くその時間は本当に楽しい時間だった。
お酒もすっかり飲み切った後、目的の駅に着くと終電がなくなった駅前にはタクシーがちらほらと停車していた。

駅前に着くと瑞樹くんは「カッコつけさせて」と言うやいなや、自然な所作で私にタクシー代を渡してきた。
「いやいや、私の方が歳上だよ?」と彼にお金を返そうとしたけれど、彼は「僕が誘って終電を逃してしまったのでここは払わせてください」と言いながら私の手を包むように抱え、お金を私に差し戻してきた。

その時初めて触れた彼の身体はなんだかとても優しいなと感じた。


*5/9

"お久しぶりです!よかったらまた飲みに行きませんか?"

仕事が終わりスマホを開くと一通のメッセージが届いていた。送り主は瑞樹くん。

私はそれを見てもちろん嬉しい気持ちが込み上げてきたけれど、同時に鼓動が速まってしまうのを感じた。それは単純な緊張とか浮かれた気持ちが理由ではない。
ひとまず幾らかの時間を置こうと思い一旦スマホを鞄にしまった。

とりあえずお腹を満たそう。そう思い近くの牛丼チェーン店へと向かう。

店に入り食券を買いカウンターに座る。店員に渡した食券に記載されたメニューはものの数分で私の元に運ばれてきた。
思考を巡らす待ち時間を生まないからファストフード店はいいな、なんてどうでもいいことを思いながら気を紛らわした。
それでも食事自体、ものの数分で終えてしまったため結局そこまで時間は潰すことはできなかった。

食事を済ませて店を出ると思考を紛らわす術が他になくなる。私は再びスマホを取り出し瑞樹くんに返信をすることにした。

"久しぶり、いいね!いつがいいかな?"

数分経つとすぐに返信が来た。
"よかった!少し先だけど十月二十八日とかどうでしょうか?"

私はその日付にドキッとした。
よりによって何でこの日をピンポイントで。
その日は私の結婚記念日だった。


*6/9

"もう少しで駅着くけどどの辺にいるのかな?"
"僕はもう着いてるので、改札出てすぐのとこにいますね!"

了解、と一言返信してから電車の窓に反射する自身の姿を確認してみた。
目に映るその外見は特に問題なかったのでそのまま視界を外に向け、何となしに過ぎゆく景色を眺めた。
それから一分ほどで電車は目的地に到着した。

肌寒いな。電車を降りると十一月の風が季節の変化を実感させた。
ホームの階段を降りて改札を抜ける。まわりを見渡すと右斜め前に瑞樹くんが立っているのを見つけた。

「お久しぶりです!」
「お久しぶり、夏以来だね!会うの結局十一月になっちゃってごめんね!」
そんな簡単な挨拶を交わしたのち、二人でお店へと向かう。

店に入り乾杯をするまでは少し緊張したけれど、気づけば自然と会話も弾み、ただただ楽しい時間が流れた。
瑞樹くんとの時間は本当にあっという間に過ぎる。そう、あっという間に終電の時間は近づいた。

——まだもう一杯くらい飲んでも終電には間に合うよね。

と心の中で自問自答をしては、押し寄せてくる罪悪感に何の論理も通っていない理屈で蓋をした。

浅はかな下心なんてない。けれど今日はこのまま帰りたくはなかった。
今日、瑞樹くんに聞きたかったことがあるから。

——うん、ちゃんと聞こう。

そう改めて決心をしたのち、彼に尋ねてみた。

「瑞樹くん、私のことって覚えてないよね?」


*7/9

今から十年ほど前、高校に行くのがこわい、そんな気持ちが溢れ学校にまつわるあらゆるものを見るだけでとても嫌な気持ちになる時期があった。
原因は単純で、その原因の原因は具体的にはなかったと思う。
十代そこらの人間が標的を決めるのに理屈なんてない。

それ以降、その年は高校に行けなかったため私は単位が足りずに進級できないことになってしまった。

高校には何の未練もなくて、その時は将来のことなんて考える気にもならなかったため退学してもいいと思っていた。
けれど親からは、行く気が起きなかったら行かないままでいいからもう少し籍だけ置いてみたらと言われ、私は同じ高校で留年することにした。
別に前向きな選択ではなく、親がそれを望んでるならそれでいっかくらいの気持ちだった。
その時の私はこれがしたいとかしたくないとか、そんなことも思わないくらい全てに対して投げやりな気持ちになっていた。

結局籍だけ残したところで、次の春になっても引き続き高校に行く気にはならなかった。

けれど新年度から予想もしていなかったちょっとした変化が起きた。
担任の先生経由で私宛に定期的に手紙が届くようになったのだった。

それでも結局、私はその年の夏に通信制の学校に転校することになっため、幾度か届いた手紙には最後まで応えることはできなかった。
けれど届いた手紙はどれもすごく嬉しかったことを覚えてるし、今でも実家の勉強机の引き出しにしまってある。

その後の私は無事に通信制高校を卒業し、大学卒業、就職と歩むことができた。
今となっては髪も染めたり服もいろいろこだわったりとそれなりに垢抜けたと我ながら思う。

あれから十年。久しぶりに見た瑞樹くんは何も変わってなかった。


*8/9

「覚えてたから声かけたんですよ!」
瑞樹くんは私の質問に対してしっかり私の目を見ながらそう答えてくれた。

「逆に僕たち同じスイミングスクール通ってたの覚えてますか?」
突然の瑞樹くんからの逆質問。
確かに私はスイミングスクールに通っていたけれど、瑞樹くんについては正直何も覚えていなかった。
けれど言われてみれば、同じクラスで泳いでいた子たちの中に一つ年下の男の子が何人かいたような記憶はあった。
それでもやっぱり瑞樹くん個人については思い出せない。
水泳は基本チームスポーツではないため、コーチが練習を見やすいようにクラス分けはされていたけれど、同じクラスの子たちと交流するような機会は特になかった。
なので瑞樹くんに限らず、今となっては同じクラスだった子なんて誰ひとりとして思い出すことはできない。

私が回答に困っている様子を見ると瑞樹くんは話を続けた。
「僕、スイミングスクールに行きたくない時期があったんです。同じ小学校に通っててスイミングのクラスも同じ奴がいて。その子に嫌がらせされてたんだすね。今思えば可愛いレベルの嫌がらせなんですけど、その時は本当にすごく嫌で。そんな時に唯さんがそいつにそういうのやめなよって言ってくれたんです。僕はそれがすごく嬉しくて。やっぱり覚えてないですか?」
私はそのエピソードを聞いてもやはり何も覚えていなかった。
けれどそのまま詳しく話を聞いてみると時期的にも私がスイミングを習っていた頃と一致していたし、そのスイミングスクールに確かに通っていたので、たぶん助けたのは私で間違いないんだろうなと思った。
私は高校で不登校になってしまったけれど、小中高と割と生真面目な性格だったので、そのエピソードの通り行動していたとしても特に違和感はなかった。

「それで僕、すごく単純ですけど唯さんのこと気になりだしてしまったんですよ。けれど結局そこまで話すこともできないまま、唯さんは小学校を卒業する頃にスイミングスクールもやめてしまって。僕としては唯さんが一つ年上で隣の小学校に通ってたということを知るのが精一杯でしたよ(笑)」

瑞樹くんは私が覚えてもいない私の話をとめどなく話し続けた。
「それから高校に入学して、そしたらクラスに唯さんと同姓同名の人がいて。唯さん名字がめずらしいから、その時のことすごい思い出して。こんなめずらしいこともあるんだなと思ったんです。けど、その人は一向に学校に来なくて。それで担任の先生に事情を聞いたんですよ。それで全てわかりましたよ。不登校のこの人は同じスイミングスクールに通っていたあの唯さんだって」

瑞樹くんが不登校だった私になんであそこまで親切にしてくれたのかが今わかった。
それと同時にいろいろな記憶がフラッシュバックしだして、湧き出る感情を全然整理できないままに目頭がどんどん熱くなっていくのを感じた。

「どうしてあの飲み会の日に言ってくれなかったの?」
私は震える声を抑えながら瑞樹くんに質問をした。
「昔の話とか全然しないし、あんまり話したくないことなのかなって思ったから。それに唯さん、全然僕のこと覚えてなさそうな様子だったので(笑)」

このまま何か話出そうとすると、きっと泣いてしまうだろうと思い、手元にあるアルコールを飲むことで感情を紛らわし続けた。
すると私が何も話さないのを見かねてか、瑞樹くんはまた話を続けた。
「本当にこの前の飲み会はびっくりしましたよ。こんな偶然が重なることってあるんですね。けどすごく元気そうでよかったです。結婚もしたみたいで幸せそうでよかったです。結婚してるのにまた誘ってしまってごめんね」

最後、敬語じゃないその言葉遣いに胸がギュッとなり、目頭が一層熱くなるのを感じた。


*9/9

——瑞樹くんと飲み会で再会してから二年後

瑞樹くんが私のことを覚えてることを聞いた日からも数ヶ月に一度くらいのペースで飲みに行った。
けれどどんなに場が盛り上がっても、私が帰るそぶりを見せなくても、彼は紳士的に終電の二本前くらいには私を帰した。もちろん決して私に触れようともしてこない。
だから毎回会うのは安心ではあるけれど、どこか虚しいと思ってしまう自分もいた。

——これなら既婚だとしても会ってていいよね?

彼と解散した後は毎回と言っていいほど帰りの電車に揺られながら私はこう自問自答を繰り返した。
本当はわかってる。彼に対して今の私の立場では持ってはいけない気持ちを抱いてしまっていることを。
だから、月みたいな存在になれたら。なんてことを今は思うようにしてる。
決して自ら主張はせず、常に想ってもらえる存在というわけでも決してなく。
けれど、ふと何かのきっかけで夜空を見上げた時に存在を思い出してくれるような。そんなふうになれたら嬉しいなと。

都合がいいのはわかってるし、永遠に続かないこともわかってる。けれど、彼との時間は辛いけどそれ以上に幸せな時間だと感じる。
もう少しこの関係でいていいのかな。と今はまだ思ってしまう。

ー完ー

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