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その辺にありそうなフィクション9「砂糖とミルク」

*1/11

「私がやってる仕事って誰の何のためにやってるんだろうって時々思っちゃうんだよね。上司を納得させるためだけに作らされる資料とかさ。もう解決してることなのに何かぐだぐだ質問され続けて、それに対応したりさ。
その度にきっと世の中こういうことの連鎖で成り立ってるんだろうなって思うんだよね。こういうムダな仕事を生み出す人がいてさ、それに対応する人がいて。こういう仕事で時間潰してるような人が山ほどいるんだよ。
まぁ、そういうのがないと仕事が無くなっちゃう人がたくさんいるんだろうしね。そんで私も結局その一人ってわけ」

真美はいつもよりストレスが溜まっている様子で、今日は随分と勢いよくデトックスしているなと感じる。

真美とは社会人になってからも基本的には半年に一度、多い時は一ヶ月に一度くらいで会っていた。けれどここ最近はお互い何だかんだと都合が合わずで。その結果、今日会うのは実に約一年半ぶりだった。

私は真美の話(不平不満から野心的なことまで様々な話)を聞くのは全く嫌ではない。むしろ私にはない経験や考えに触れられる貴重な時間だと言える。
逆に私から真美に何か意味のあることを話せたことはあるかな?とは思ってしまうけれど。
それでも毎回真美の方から誘ってくれるのでそれなりに私と過ごす時間を心地よく思ってくれてるのかなと解釈してる。と、そんな具合で今日も真美の話を聞いていると注文した食事が運ばれてきた。


*2/11

入店してから二十分ほど。相変わらず会話の八割くらいは真美が占めていた。場合によっては申し訳なくなるような割合だとは思う。けれど、真美も気持ちよく話している様子に見えるし、私も全く苦ではないためこの割合をどうにかしようとは思わなかった。

今は主に職場に関する不平不満を辛口な表現で吐き出している。
これがとても切れ味鋭く強い言葉たちで。仮にこの話だけを切り取られ、その音声を世にばら撒かれたら良い印象を抱かない人も結構いるだろうな、なんてことを聞きながら思う。
けれど綺麗なのに絶妙に愛嬌もある容姿がその毒舌をどこか中和してしまう。そして今はクリームたっぷりのパンケーキを頬張り、そのクリームを口元にちょこっと付けたりなんかして(真美は気付いてなさそう)。
その様子も含めると嫌味な感じは全く無くなってしまう。これは私が真美がどんな考えを持ってるか、これまで色々聞いてきた積み重ねがあるからなのかもしれないけど。

ただ、真美は学生時代、友達が多いタイプではなかった。けれど、それでも真美を魅力的に思う人は男女問わず校内に割といたことを覚えてる。
芯があって強気な感じと、どこか抜けてて憎めない感じ。この両面に触れれば大抵の人は魅了されるのではないかと思う。
と、そんなことを思っていたらすっかり真美の話に上の空になっていることに気づいた。
慌てて思考の焦点を真美の発する言葉に戻すと、相変わらず切れ間なく真美の話は続いていた。

どうやら口元のクリームのことを教えてあげるタイミングはもう少し後になりそうだなと思った。


*3/11

「てかさ、芽衣香は最近どうなの?」

ここまでずっと聞き手に回っていたので、急に話が自分事に切り替わり、脳内が少し引き締まる感覚になった。
次いで投げかけられた質問について考えてみる。
けれど真美が話していたような不平不満はもちろん、何も話すことが浮かばない。
それは真美の質問が抽象的だからではなく、単純に私の中に“ここ最近”というキーワードにひっかかる話したいことが何もないからだった。

「そうだね。正直話すようなことは何もないかな。考えてみたけど何も浮かばないもん」

結局考えても話が広がりそうなことは浮かばず。せめて空気が和むようにと自虐的なニュアンスを含めた微笑とともに返答してみた。
すると真美は私の返答に簡単な相づちを挟んだ後、唐突な提案をしてきた。

「そうだ。じゃあさ、今度一緒に遠出しよう。遠出っていうか旅行だね。いいでしょ?」

反射的にその提案を承諾してしまったけれど、断る理由もないので訂正しようとは思わなかった。
すると真美は「よし、決まりね」と明るく言ったきり、すぐに話題を変えてしまった。
何か意図があるのかはよくわからなかったけれど、何となく詳しく聞くことは避け、真美が最近ハマっているという海外ドラマの話に聞き入ることにした。


*4/11

昨日は久しぶりに人と会話をしたな、と通勤の電車の中で真美との時間を思い出す。
もちろん日々の仕事の中で他人とやり取りはしているけれどそういうのではなく。

なんだかそのせいで感情が少し戻ったのか、今日はオフィスに向かうのが少し億劫になっていると感じた。
それでもこのまま大胆に行き先を変える度胸はない。なので今日もいつもの駅で降車し、いつもの改札を抜けた。

駅を出てからは毎朝のルーティーン通り、まずは最寄りのカフェへと立ち寄る。今日もアイスコーヒーを買い、砂糖とミルクは断った。
社会人になるまで砂糖とミルクはずっと入れていた。けれどブラックの方が大人な感じがするし、苦味が気を引き締めてくれる感じがするので社会人になってからは砂糖もミルクも貰わないようになった。今となっては気を引き締めると言うより有耶無耶にするためにコーヒーを飲んでる。

昔は私だって前向きな未来像を描き、それなりの志を持って働いていた。
具体的にやりたいことはなかったかもしれないけれど、日々、ちょっとした成長を感じては嬉しくなったりもしてた。
と、そんなことを考えていたら思い出したくない過去まで脳内で再生し始めてしまった。

それは入社二年目の半年が過ぎた頃。その日は本部の下半期決起集会があり、夜には懇親会という名の飲み会が行われた。


*5/11

親会社から出向してきたという目の前の男がさっきから気持ちよさげに話し続けている。
いつもは恐々しい雰囲気を醸し出している部長の威厳も何処へやら。さっきからこれでもかとその男への接待発言を連発してはお酒を酌み交わしている。
これじゃ懇親会というより接待会だなと目の前の光景を見て心の中で思った。

まぁ、きっとこの男はそれほどの人間なんだということは理解している。会社の組織図でいえば私より何階層上なのかもすぐにわからないくらい目上の存在なのだから。
けれど私はこの男の仕事ぶりを見たこともなければ、まともに話すのも初めてだ。なのになんでさっきから、こんなにも言われ続けなきゃいけないのだろう。

「人って役割があると思うんだよ。その場を明るくさせる華的な立場とか。その点でいうと君はしっかり仕事頑張らなきゃいけないタイプだね、ハハッ」

「君さ、もう少し愛想よくしなさいよ。ほら、三浦さんだっけ?あの派遣。キミも少しは三浦さんを見習った方がいいよ」

「僕はいいよ。けどね、ちゃんとお酒くらい注げないとダメだよ。コミュニケーション能力低くてもさ、君のキャラならせめてそのくらいできなきゃさ。君のためを思って言ってるんだよ」

この二時間ほどでこの男に言われた様々な事が脳裏で残響し続けて止まない。まわりの上司達もこの男のご機嫌を取ることだけに気がまわってる様子だ。

——何なんだこの空間。本当に嫌だ、壊してやりたい。

気づけば理性より先に感情が私の口から出てしまった。
「先程からなんだか粗悪品みたいに言われてるようですごく不快です」


*6/11

私の発言で懇親会の席が一瞬静まり返った。けれどその後、まわりがなんとかその場を曖昧におさめたため、大惨事には至らなかった。

結局その男は私に謝りも怒りもせず。まるで私の発言がなかったかのように再びビールを口にし始め、まわりもそれに続いた。
ただ一点、その後からは私の存在が消えたかのように、誰からも話しかけられなくはなった。
別にそれについては寂しくも悲しくも思わなかった。むしろ不快感で頭がいっぱいだったため、早く帰りたいくらいしか思うことはなかった。
そんな具合にある意味で楽観的な思考しか持ち合わせなかったのは、次の日からもこのことが尾を引くことをちゃんと想像できていなかったから。


*7/11

「浅田さんちょっといい?」

次の日、部長に呼び出されて会議室へ。

話された内容は端的に言うと「謝罪の連絡を入れろ」とのこと。
私は何を謝罪する必要があるのか理解できないと答えた。けれど部長は何がとかではなく、目上の人に失礼だとの一点張り。
私は何だか途端に描いていた未来像が崩れてどうでもよくなる感覚を覚えた。
結局こう言う感じなんだ、私が何を言われてたか誰も聞いてない。私の気持ちを気遣おうともしない。皆自分の保身のことばかりなのか。

納得しない私を見かねた部長は「もういいです」と言い残し会議室から出て行った。


*8/11

さすがに学生のようなイジメなどはない。けれど例の懇親会という名の飲み会から一年経過した今もずっと職場の居心地が悪い。
そして人間関係の悪化は振られる仕事や評価にも多大に影響した。

もしかしたら私の態度に問題があったのかもしれない。そう振り返ってみたりもしたけれど今となっては原因なんてどうでも良くなっている。

少しずつ積み重ねた違和感やすれ違いが今の私の立場を作った。それでも会社をやめる勇気はなく、そんな自分が惨めになって、そして今はもう惨めに思う感情すらなくなった。

それにモチベーションなんてなくても仕事はやっていけることもわかってしまった。最低限を淡々とこなす日々。
やりがいなんて疾うに感じない仕事が今日も始まる。

今日は会社の有休奨励日でオフィスにはほとんど人がいない。
こういう日は自席ではなくフリーアドレスエリアで仕事をしている。ここは自席よりも無心になれていい。そんな具合に淡々と仕事を片付けていると、聞き覚えのある賑やかな数人の声が聞こえてきた。

「………本当に無愛想だしさ。二年ぶりに今度来る新人は明るくて可愛い子がいいよな」

その“無愛想”というのは私のことを言っているということはすぐに気づいた。けれど向こうからこちらは死角になっているので私の存在には気づいてなく、その後も私を話題に嫌味な会話が続いた。

結局、聞きたくもないその会話に聞き入り、私は最後までその場から動けなかった。
もう職場なんてどうでもいいと思っていたはずなのに。何だか胸騒ぎと涙が止まらなかった。


*9/11

昨日あんなことを聞いて確かに気持ちはすごく動揺した。それなのに今朝も同じ通勤電車に揺られている。
結局いつもの毎日から抜け出すことはできないと実感しながらいつもの駅で降車し、いつもの改札を抜けた。なるべく何も感じないように意識しながら。

今日もいつものルーティーンをこなすしかない。そう思い、いつもと同じ方向へ歩き始めたその時、突然と手に持つスマホが震えだした。画面を見るとそれは真美からの着信だった。

「もしもし、芽衣香?今どこにいる?」

電話からはハツラツとした声色が聞こえる。
こんな朝から電話してきたことに驚きつつ、オフィスに向かってるところだと答えた。すると真美は予想だにしないことを言い始めた。

「実はね、今近くにいるよ。ほら後ろ見てみ、後ろ。あー、違う、もう少し右みて右」

言ってる内容に思考が追いつかないまま、言われるがままに視界の方向を移してみる。すると本当にまさか、そこには真美の姿があった。

「えっ、なんで?仕事は?」
「あー、仕事は昨日やめた。もういいやってなってさ。正確には退社は来月末だけどね。もう残ってる有休全部使って目一杯休んでやろうと思ってさ。それでさ、芽衣香に会いに来てみたんだよね。かなり急だけどこの前言ってた旅行、今からどうかなと思ってさ」

常識的にはあり得ない。ただ予想だにしないその提案にどこか胸が高鳴るのを感じた。


*10/11

「芽衣香、仕事少し休んでた時期あるって母親から聞いてさ。ほら、芽衣香のお母さんとうちの親、たまに地元の母会?的な集まりで今でも飲んだりしてるみたいじゃん。ちょっと前に実家帰った時にその話聞いてさ。この前久しぶりに会うまでしばらく会えてなかったから、全然知らなかったけど」

真美の言う通り、例の飲み会をきっかけに私は休職してたことがある。と言っても二ヶ月くらいだけれど。何だか職場に行くのがどうしても嫌になって、けれど経済的なことを考えると会社を辞めることはできず。
結局。取ってつけたような理由で二ヶ月間の休職を貰うことにした。

休職したことは事実だと答えると真美は話を続けた。

「この前も結局何も話してくれなかったから詳しいことはわからないままだけどさ。なんかいろいろ抱えてるんだろうなって。だからさ、わりと本気だよ?思い切って休んじゃってさ、気分転換しに行こうよ。こんな急に仕事休めるのかは知らないけどさ(笑)
でも、芽衣香どうせ有休余りまくってるんでしょ?理由なんてどうとでもうまく言ってさ。ね?旅行のお金は私の退職金から出してあげるし。まぁ、まだもらってないけどね(笑)」

普通なら絶対に断る。他の人の誘いなら絶対断る。けれど何故だか今はこの提案にワクワクしてる自分がいた。

私なんていなくても会社は困らないだろうし。またあの時みたいに、でもあの時とは少し違う心持ちで取ってつけた理由を持ち出せばいい。何だかそう思えた。


*11/11

この一年、自分の気持ちの糸に触れる感覚がずっとあった。

切ってしまえばラクになるけれど何か取り返しのつかないことになってしまう。なんだかそんな気がしてどうにもできなかったその糸。
きっと根本が解決したわけではないのでまだ心の中にはあるとは思う。けれど、この後どうするかを決めてみたら、まるで溶けて無くなったかのようにその感覚はすっかり消え去ってしまった。

真美からの突拍子もない提案を承諾してから、その勢いで会社へ休みの連絡を入れた。
いつもは不快感しかない私物のスマホに入っているチャットアプリ。こんな不足の事態にもすぐ連絡ができて、今日はただただ便利だなと感じた。

真美は私が連絡をし終わると、何処へ行こうかと行き先の検討をし始めた。
とりあえず休み連絡を入れた状態でいつまでも会社の最寄駅付近にいるのもどうかと思い、この場からはすぐ移動したいと伝える。
すると真美はここまで車で来たとのことだったので、ひとまず車を停めた駐車場へと向かった。

真美の車に乗り込みいつもの職場付近の街並みを通り抜ける。視界に映る街自体は同じなのに、なんだかいつもとは違う街のようにも感じ、不思議な気持ちになった。

「とりあえずコーヒーでも飲みながら行き先考えよっか。時間はたっぷりあるしね」

真美の提案を聞き、砂糖とミルクをたっぷり入れた甘いコーヒーがふと飲みたくなった。

ー完ー

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