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その辺にありそうなフィクション3「多重と自重と」

*1/7

決して解決したわけではないけれど、今日できうる範囲の対処を終えてオフィスを出た。
明日も朝から今日の続きだと思うと気持ちの滅入りが加速するため、強制的に思考の巡りを止めることを意識した。

急ぎ足で駅に向かった末、乗った電車は終電の一本前。今となってはこの生活にも慣れてしまった。正確には慣れたのではなく感情が鈍いフリをするのが上手くなっただけかもしれない。
いずれにしても思考や感情を整理すると心が折れる予感がするので、そうする気はない。それでも今日はいつもより幾分かキマリが悪く、思考を都合よく止めることができないでいた。

電車に揺られながら何となしに視界を上の方へと移すと他人のゴシップやスキャンダルが掲載された吊革広告が目に入る。
不倫、自殺、薬物。それらの行為に対しては嫌悪感も共感もないけれど、私とは別世界の不要な情報を私の脳内に入れてくる媒体自体には幾らかの苛立ちを覚えた。
それでもその苛立ちは私の思考を仕事から逸らすきっかけとなり、世界は苦行と不幸によって成り立っているのかもしれないとも思えた。


*2/7

職場から一人暮らしの最寄駅までは一度の乗り換え込みで四十分ほど。今日も最寄り駅に着く頃にはすっかり日を跨いでしまっていた。
時間のせいかご時世のせいか乗客はまばらで、同じ駅で降りる人は数えるほどしかいない。
結果的に今日は電車内で思考を鎮静化できたため、とりわけ何も考えずに改札へと向かった。乗車券の用途で取り出したスマホをかざし外に出ると定期区間内と分かっていても何となくスマホに表示される残高を確認してしまう。想定内の残高を改めて認識した直後、次いでそれとは別の数字が画面上に表示されていることに気づいた。何の規則性もないその十一桁の数字。けれど私はそれが何かすぐにわかった。
「きっと酔っ払ってんだろうな、そういうサイクルですか」
私は一人ぽつりと呟きながら、その十一桁の数字を履歴から削除しスマホをカバンにしまった。
今日はお酒でも買って帰ろう。そんなことを思いながら自宅へと歩を進めた。


*3/7

——四年半ほど前

今日は久しぶりに彼と会う。
と言っても会うのは約一ヶ月ぶり。けれどそれ以前は週一から二回、多い時は週の半分以上は会っていたからやはり久しぶりだと感じる。

待ち合わせ場所は駅前広場の端のほう。
この場所自体には固有名称もなければ目印となるオブジェもない。けれど「いつもの待ち合わせ場所」といえば彼と私は同じ場所を認識することができる。私たちはそんな関係だった。

あんなに楽しみにしていたのに、結局今日も待ち合わせ時間には間に合いそうにない。けれどほんの少しでも彼に綺麗だと思ってもらいたくて、キレイめな服装とヒールが少し高い靴を履いてきてしまい、上手く走ることができない。それでも可能な限り急ぎながら、彼に会いたい気持ちとそれなりの緊張を携えて待ち合わせ場所へと向かった。


*4/7

いつもの待ち合わせ場所が見えると同時に彼の姿も目に入った。彼もこちらに気づいたようで、私に向かって軽く手を振る。
その姿を見て彼は一度も待ち合わせ時間に遅れたことがなかったことを思い出した。

「ごめんね、待たせちゃって」
「そんなに待ってないから大丈夫だよ」
彼は私が遅刻しても一度も怒ったことはなく、それについて優しいなと思ったことは今日まで一度もなかった。
無くさないと気づけないなんて虫がいい話だなと思い、私はそのことについてはそっと胸にしまった。

「何食べようか?」
「そうだね、何かある?なければ俺が決めちゃうけど」
「ないから決めていいよ」
私にとっては食べるものなんてどうでもよかった。彼と同じ時間を過ごせることが何より重要だったから。
彼は歩いて数分のところにある何度か一緒に来たことがある洋食屋を選んだ。
幸いお店は空席があったため待つことなく席に着くことができ、簡単な会話を交えつつメニューから注文する食事を決めた。
店員を呼びそれぞれの注文を伝える。少し経つと飲み物が運ばれ、またそこから十分ほどでお互いの食事が運ばれてきた。
それまでの間、彼と私は他愛もない会話を繰り返した。

それにしてもなんで別れたんだっけ?と思えるほど彼との会話は心地よく、私が振ったにもかかわらず本当に虫がいい話だなと思うと、なんだかひどく後悔が押し寄せてくるのを感じた。


*5/7

——四年半ほど前、から二週間後

「もしもし、大丈夫だった?」
「大丈夫だよ、どうしたの?」
彼は昔と変わらない口調で電話に出た。
これまで何度も電話をかけてきたけれど、そのほとんどは特に具体的な目的もなく、ただ声が聞きたかったから、話がしたかったからみたいな理由で電話をしてた。けれど今日は違う。具体的な目的を持って電話をかけている。

いくつかの簡単な話題を消化した後、今日の本題を切り出さないとと思い、その話が出来そうな方向へと話題を移してみる。
「引越しの準備はどう?」
「もう荷物も詰めたし、あとは引っ越すだけって感じだよ」
「そっかそっか」

彼は仕事の関係でもうすぐ引越してしまう。だから早く伝えないといけない。けれどうまく口に出すことができず、いつまでもふわふわとした会話を続けてしまう。
伝えるべきことはわかっているのにどうしてこんなにも口に出すのが難しいのだろうか。伝えるべきではない、とても酷いことならこれまで散々口に出してきたのに。それでも後悔はしたくない。だからちゃんと言わないと。そう意を決し、胸につっかえた目的を精一杯の平静を装いながら口に出してみた。
「私たち、もう一回やり直せないかな?」


*6/7

——再び現在

目が覚めると時刻は朝の十時を過ぎていた。
一瞬焦ってしまい、仕事に毒されていることを実感する。今日は土曜日だ。

今週も仕事では小さなものからそれなりに気分を害すものまで、いくつかの問題が起きた。けれどそれらは何とか対処することができたし過ぎてしまえばどうでもよく思えた。
どうせきっと来週も似たようなことが起こり気分を害す。ここ何年もその繰り返しだ。
日常は変わらないから日常で、それが幸せなものである時はいつか壊れることに怯えるのに、辛いものである時は一生続く気がしてしまう。
彼と共に過ごしたあの頃は前者だったし実際そうなってしまった。

日常から姿を消した彼からは今年に入って以降、度々連絡が入るようになった。ただその頻度は二ヶ月に一回くらいなものだった。けれど何故か今週は一週間のうちに二回も連絡があり、一回目は電話で二回目はショートメッセージが来た。けれどどちらに対しても私は反応しなかった。
私は彼と別れた後も彼に二回告白した。けれどどちらもいい返事をもらうことはできなかった。
とても辛かったけれど、もとはといえば私が振ったから別れることになった。めんどくさく食い下がれる立場でないことは自覚していた。だから私はなんとか切り替えようとして、それなりの月日を重ねた今は彼への気持ちから解放された日々を送れるようになっていた。

——なのになんで今さら。もう遅いよ。

私の日常はもうすぐ一新される。もうすぐ私は結婚する。


*7/7

——一ヶ月後

季節は冬なのに今日は春のような気候で、歩いて最寄駅に辿り着いた頃には少し汗ばむほどだった。
改札を抜けホームへと続く階段を登る。登り切った先の電光掲示板を見ると待ち合わせ時間に間に合う電車の更に一本前の電車もまだ来ていないようだった。
ここ最近すっかり時間の使い方が上手くなったと思う。遅刻も全然しなくなった。

早く着く分にはいいかと思い予定の一本前の電車に乗り込む。席はぽつぽつと空いていたけれど、何となく外の景色を見ていたいと思い扉横に腰を寄せた。
電車は当たり前のように時刻通り走り始め、眺めた外には最寄駅前の見慣れた街並みが映る。けれどその頭上に広がる空はなぜだかいつもより青々しく感じた。だから何だというわけではないけれど、空について感じられるほど休日の昼は気分がいいものだなと思った。

電車に乗った目的は彼に会うため。仕事の関係でなかなか都合がつかず、会うのは今日が久しぶりだった。まぁ今さら気持ちが高揚したりはしない。それが良いことか悪いことかはわからないけれど。
ただ、恋焦がれていたことも確かにあったはずなのに、人間ってつくづく薄情だなと思うと少し嫌な気持ちにはなる。
今日もきっと彼は遅刻してくるんだろう。遅刻してしまう気持ちはわかるし、私は彼の遅刻癖は基本的に目を瞑ることにしてる。

私の日々はつまらない。多重に不快なことや悩みが生まれる。
別に私が特別だなんて自惚れてはいない。きっとみんなそうだろう。それでも幸せになりたくて、今日も自重をしながら束の間の休日を過ごす。

ー完ー

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