1番好きがいなくなりつつある
先日写真撮影の仕事中に星野源を流していたら
「星野源好きなんですか?」
と聞かれた。
僕は確かに好きだけれども星野源についてなんでも語れるほど好きなわけではないし、楽曲も出演作もすべて網羅できているわけでもないので
「そこそこ好きです」と答えた。
「なんか最近はそこそこ好きがたくさんいる状態ですねー」とかへらへらしてた。
例えば1番好きと言えるアーティストなり芸人なりがいたとして、現代ではその人たちにまつわるコンテンツの供給量が尋常じゃないため、それをすべて追うことはそもそも不可能に近い気がする。
その人だけを追う覚悟を持たないと追いきれないような時代だと思う。
そんな覚悟を持たずに「1番好き」と言ってしまうことは、覚悟を持っている人に失礼なのではと感じてしまう。
その結果、1番好きがいないのである。
あと単純に1番好きな人にそこまで依存してしまうのは結構危ないことだとも思っている。
最近の結婚報道などをはたから見ていても、人生を捧げてしまうほどに好きだった人を失うことはなによりもつらい。
だからきっとそこそこ好きな人たちをゆるく追いかけていくのが精神衛生上1番いいんだと思う。
そこそこ好きな人たちをそこそこ追いながらそこそこ楽しむこと。
その方が楽しさの総量としては大きくなることさえある気がする。
だからいいと思う。1番が言えなくたって。
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