「検索モード」から離れてみること

私たちは「純粋によく見る」という行為をしていないのです。現代人の眼は「マルチ託すに心を奪われてそもそも見ていない」「何かを探して/期待して見ている」「なんとなくぼーっと見ている」という3つのモードに支配されている。何の先入観も持たず、眼の前の事物・事象をありのままに理解する「観察」が入る余地がありません。

たまたま近所の本屋で目に留まり、購入した『知覚力を磨く』にそんなことが書いてあって、ドキリとした。たしかにそうだなと。

スマホを誰もが持つようになって、いつでもどこでも「検索」することが当たり前になりました。モノを見る時には、常に何かを期待してしまっているような気がします。

「仕事に役に立つ情報が見つかるかもしれない」
「自分のスキル向上に直結する知識を得られるかもしれない」

検索とはつまり、何かを期待をして情報を探すということ。

この「期待」というのは、とても厄介なものですよね。期待なんてするから、純粋に物事を楽しめなくなるし、目が曇る。

僕は今でもゲームをよくするんですが、子供の頃みたいにただゲーム自体を楽しむことができなくなっていて、ちょっと悲しいなと思います。昔は平気で5~6時間とかやっていて、親に怒られても楽しすぎて辞めたくなかったくらいなのに。

今はゲームをしている間にも仕事のことや育児のことを考えていたり、「これやってて意味あるんだろうか」なんて思ってしまいます。そもそも意味なんてないのに。

何でもかんでも自分の行動に意味づけをしてしまうのも、悪い癖だなーと。意味を見出さないと、不安になってしまう。

「期待」や「意味」を検索してしまうことから離れて、何かを純粋に見る、楽しむことを意識的にやっていきたいと思う今日この頃。だから自然って人間にとって大事なんだろうなー。


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