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苦である人生を、どう楽に生きるか?

「人生とは苦である」

というのが、お釈迦様の教えです。

しかし「苦か楽か、なんてのは個人によって違うんじゃないの?」と、私は最初思ったもんですし、そう思う方は多いのではないでしょうか?

以前、ある脳科学者さんに聞いたことなのですが、苦しみとは何なのか?というと
脳科学では「現実と理想のギャップ、差が苦しみです」という話しでした。

これは、まあ、理解できることですね。
今の環境がどうあれ、自分が思っている事と違ったら、「苦しい!」と思うわけです。

別に、絶対的に苦・楽の基準があるわけではないですね。

さて、世間のハウツー本などは、「どうすれば、思うような生き方ができるか?」が書かれています。

現実を理想に近づける、という形で苦しみを減らそうとしているわけですね。

たしかに、ギャップが減ると、「一時的には」幸せになるでしょう。

ところが、よくご存じのように、一つの理想をかなえると、次に欲しいものが出てくるのが人間なので、結局は永久に苦しみは減らない、というのが実態なわけです。

するとまあ、「別に高望みせずに、ほどほどで満足してたら幸せなんじゃない?」というのはある意味で正解かもしれません。

しかし、お釈迦様が苦の代表として挙げたことそれは「生、老、病、死」になります。

仮に、現在の自分に満足している人ほど、それが失われる「自分の死」は一大問題です!
しかも、絶対に避けることができない難問です。

つまり、最終的には「如実知見」つまり現実をありのままに直視する。
そして、現実=理想 という心を生きることが大切、ということになるでしょう。

使い古された言葉ですが「今ここを生きる」境地だと思います。

「諦める」という言葉があります。

現代の日本語ではネガティブな意味ですが、本来は「あきらかに見る」という仏教用語からきています。
現実をあきらかに見る、という意味ですから、悲観も楽観も無い、でしょう。

生きていたら、様々な問題は起こるものです。
病気になることもあります、最終的に死なない人はいません。

でも、それは良いこととか、悪いことでもなく、ただ起こることでしょう。
(死の問題については、長くなりますので、改めてお話ししたいと思っています)

反対に申し上げますと、理想を持ってそこに近づく生き方、というのは最もうまくいっても「思い描いた理想」以上にはならないものです。
しかも、現実と戦い続ける苦難の道です。

しかし、物事をあきらかに見て、今ここを生きる方法、これは精神的に本当に楽です。
現実と戦う必要がありません。

しかも、思ってもみない助けがあったり、想像していなかった未来へ進むことが起こるのです。

これはなぜでしょうか?

現実と戦うのを辞めたら、視点も柔軟になり、今まで見えなかった良い部分が見えるというのはあるでしょう。

理想を持っていたら、無視していた別の可能性が見えることもあるでしょう。

助けてくれていた仲間の姿に気づくこともあるかもしれません。

まさに、心の安らぎと、ご縁によって広がる未来、それが仏教的生き方だと思っています。

それでは、今日も良い一日をお過ごしください。

南無帰依三宝
南無大師遍照金剛

真言末葉・沙門拓雅

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